逮捕直前、社長は世間のさらし者にされた…東大薬学部出身のロン毛弁護士が明かす、警視庁の卑劣な捜査【大川原化工機冤罪事件】
「ここまでやるか」と怒り
逮捕当日、高田弁護士は大きな怒りが沸いた。
「(警察が)聴取だと言いながら、わざわざ横浜の本社に大川原社長を車で送ったのです。聴取なら直接、警視庁に連れて行けばいいのに、何でそんなことをするのか。不思議でしたが理由がわかりました。会社の外には報道陣がずらりと待機していたのです」
マスコミに自分たちの「手柄」、つまり逮捕を宣伝してもらう目的だった。結局、大川原社長が車に乗り込み護送される姿に多数のレンズが向けられた。
「容疑の外為法違反は経産大臣に(機械輸出について)申請していなかったという形式的なものでしかありません。許可申請があれば難なく輸出許可されていたものです。それなのに社長を晒し者にして、いかにも極悪人のように一方的に報道させたのです。本当に汚いことをする。ここまでやるのかと怒りが沸きましたね」
東大薬学部の大学院は「出席ゼロ」
問題となったのは大川原化工機の主力製品「噴霧乾燥機(スプレードライヤ)」で、微生物を生きたまま粉末化できるため生物兵器の製造への転用が懸念されてきた。
国家賠償請求訴訟の一審を傍聴する中で「弁護士が理科系だったことは大きかった。文科系なら勝てなかったと思う」と見る人がいた。機械や微生物などの科学的な基礎知識があることが弁護にも役立ったのだろう。
それを高田弁護士に向けると「まあ、サイエンスのバックグラウンドがあったのはよかったかもしれません」と控えめだ。
高田弁護士は、1972年生まれの51歳。生まれは北海道・函館だが、銀行マンだった父親の頻繁な転勤のために札幌や茨城県・水戸など全国を転々とし、中学からは東京に落ち着く。名門校の開成中学校・開成高等学校で学び、現役で東京大学理科一類に合格する。専門課程になって薬学部に進んだ。
「卒業後は、大学院に進むことになっていましたが、法律にも興味をもっていたため休学して予備校に通い出したら、そっちが面白くなってしまった。薬学部もいいけど、大手製薬会社とか大体の進路が決まってしまっていて、あまり面白くない気がしました。どんどん司法の世界に惹かれていったんです」
結局、大学院は「出席ゼロ」に終わった。
1度目の司法試験は不合格。1997年に2度目の受験で合格した。司法研修を終了する際、「自分はあまり組織に合うようなタイプではなく、裁判官や検察官は向かない。最初から弁護士になろうと思いました」と話す。
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