中日ナインがブチ切れて…球審を暴行して骨折させる“異常事態”が発生 平成の“大乱闘劇”を振り返る!
「考えられないし、信じられない」
1チームで3人が退場になるのは、1980年7月5日の南海対阪急で、ストライクの判定をめぐり、南海の広瀬叔功監督、片平晋作、新山隆史コーチが暴行で退場になって以来。セ・リーグでは史上初だった。
騒動はこれで収まったかに見えたが、8回の横浜の攻撃で、先頭の駒田徳広に対し、前田幸長が投じた初球が、7回の立浪への内角球と同じようなコースだったにもかかわらず、ボールと判定されたことから、今度は、星野監督の退場によりチームの指揮を執っていた島野育夫ヘッドコーチと山田久志投手コーチが激しく抗議した。
だが、横浜の捕手・谷繁元信は「向こうが勝手に騒いで異様な雰囲気にしていた。ストライクゾーンにばらつきはなかった」と証言している。
中日が延長10回の末、3対6で敗れた試合後、橘高球審は責任審判の井野修セ・リーグ審判副部長とともに会見を行い、自らのジャッジが適正だったことを前置きしたうえで、「一番悪質なのは、大西選手。(いてはいけない場にいて暴力を振るうのは)考えられないし、信じられない」と非難した。橘高球審は右肋骨骨折及び左肩、背部打撲で2週間の加療が必要と診断された。
乱闘が“刑事事件”に発展する事態に
1997年6月5日の同一カードでも、審判技術の向上と日米交流を目的に来日し、セ・リーグの審判を務めていたマイク・ディミュロ氏が、中日・大豊泰昭への暴言退場宣告の直後、怒った大豊に胸を小突かれ、星野監督やコーチらに取り囲まれて抗議されたことから、翌日、「経験したことのない恐怖感を覚えた」と辞表を提出し、帰国する事件があった。
井野副部長は「あのときに(審判への)暴行はあってはならないことと、すべての球団が約束した。なのに、同じことを同じ球団が繰り返した。しかも、1人の審判に何十人もの選手が詰め寄るなど、あってはならないこと。これでは我々はグラウンドに立つことが恐ろしくなる」と訴えた。
星野監督と立浪には5日間の出場停止(制裁金は星野監督50万円、立浪20万円)、大西には最も重い10日間の出場停止と制裁金20万円が科され、球団からも100万円の減俸処分を受けた。
その後、テレビ中継などで暴行を知った愛知県と大分県に住む男性ファン2人が、それぞれ名古屋地方検察庁に3人を刑事告発。橘高審判本人から被害届が出ていないなどの理由から、起訴猶予になったが、乱闘が刑事事件になるという極めて珍しい事例としても記憶されている。
同年リーグ2連覇を狙った中日は、開幕から4月末まで9勝14敗と負け越し、最下位に沈んでいたが、星野監督の処分が解ける直前の5月10日から破竹の10連勝を記録。乱闘事件と指揮官らの処分がきっかけで、チームが危機感を持ってひとつに結束するのも、野球という人間ドラマのなせるわざと言えるだろう。
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