中日ナインがブチ切れて…球審を暴行して骨折させる“異常事態”が発生 平成の“大乱闘劇”を振り返る!

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一挙3人退場劇

 近年のNPBではほとんど見られなくなった大乱闘をテーマに、ファンの記憶に残る場面を振り返る企画、第4回はセ・リーグ史上初の同一チームで3人の退場者を出した2000年5月6日の中日対横浜を紹介する。【久保田龍雄/ライター】

 中日、阪神、楽天で計16年間監督を務めた星野仙一氏は、“闘将”の名にふさわしく通算6回の退場を記録している。いずれも監督時代(中日4回、阪神、楽天各1回)だが、その中で最もよく知られているのが、中日監督時代の2000年5月6日、横浜戦での一挙3人退場劇である。

 この事件は、チーム同士の乱闘事件とは性格を異にし、判定をめぐる抗議の輪の中で球審が暴行を受け、負傷するというものだった。

 7回、中日は4番・ゴメスの2点タイムリー二塁打で3対3の同点に追いつき、なおも2死二塁の勝ち越し機に、立浪和義がカウント1‐2から木塚敦志の内角低め直球を自信たっぷりに見送った。だが、橘高淳球審の判定は「ストライク!」。これが事件の発端となる。

 立浪は血相を変えて食ってかかったが、両手で橘高球審の胸を突いてしまい、退場を宣告される。そこへ星野監督が駆けつけ、左肩から橘高球審に体当たり。これまた退場を告げられた。

「何で退場なんだ。ムチャクチャや!」

 星野監督の行動には伏線があった。この回の先頭打者、種田仁が際どいコースをストライクに取られ、激高した直後、いち早く間に入ってなだめていた。立浪のときも「退場になってはいけない」と慌てて止めに走ったが、ワンテンポ遅れ、勢い余って橘高球審にぶつかってしまった。「オレは立浪を止めに行ったんだ。何で退場なんだ。ムチャクチャや!」と声を荒げた星野監督だったが、もうどうにもならない。

 本塁付近では、なおも中日ナインと審判団がもみ合う混乱状態が続き、今度は集団の輪の中にいた外野手の大西崇之が「暴力を加えた」として3人目の退場処分を受ける。

「膝蹴りか飛び蹴りかわからんが、私の右脇腹に入り、打撲を負った。その直後、後ろを振り返ったら、大西がいたので、退場を宣告した。ストライクやボールの判定に、当事者でもない大西が出てくること自体、おかしい」(橘高球審)。

 そのときの状況を、試合後にVTRでチェックした中日・伊藤修球団代表は「大西だが、球審を(選手の)輪から引き離そうとしている。それを球審は襲われたと思ったのだろう。振り払おうとして、その腕が大西の右顎に当たっている。その後、大西は審判の後ろ側を通っているのだが、そのときに何があったかはわからない」と説明している。

 大西自身も「監督が退場になってはいけないと思って止めに行った。そしたら“この若僧!”と言われ、先に手を出されたので、ついカッとなって手を出してしまった」と釈明したが、理由はどうあれ、暴力を振るった代償は高くついた。

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