最後の救世主? マツコ・デラックスが身をもって体現する「正しいテレビのあり方」とは

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普通じゃない2つの要素

 マツコは古き良きテレビの世界に対して絶対的な憧れを持っていた。彼女には「テレビには普通じゃない人が出るものだ」という持論がある。圧倒的に美人であるとか、歌が上手いとか、しゃべりが面白いとか、普通じゃない才能の持ち主が出ているからこそテレビは面白い。テレビとは、異形の者たちが作り上げる究極のエンターテインメントであるべきだ、というのが彼女の考えだ。

 マツコは「巨体」と「女装癖」という2つの普通じゃない要素を持ちあわせており、それらをパスポートとしてテレビの世界に足を踏み入れた。

 もちろん、マツコの本当の強みは、頭の回転の速さとトークの上手さだ。ただ、それらの武器は誰にでも一目でわかるようなものではない。彼女が最初に異形の人として認められたのは、ひとえにその見た目のためだ。

 肥満と女装は二重の隠れ蓑になっている。どんなに厳しいことや鋭いことを言っても、肥満体の女装家の発言がまともに受け止められることはない。彼女はそれを逆手に取って、ほかのタレントよりも一歩踏み込んで、素直な思いや考えをぶつけていくようになった。それが評価されてじわじわと人気を伸ばしていった。

斜陽のテレビ業界に舞い降りた最後の救世主

 一般庶民が手の届かないところにいるスターに憧れる時代は終わり、今のタレントはできるだけ身近な存在であろうとする。その中では、大上段に構えたスケールの大きい番組作りはできないし、型破りなタレントも生まれない。

 インターネットの時代が訪れて、テレビの影響力は低下した。テレビマンもタレントも視聴者も、誰もテレビに期待していない。テレビに夢も幻想も持っていない。

 マツコ・デラックスはそんな斜陽のテレビ業界に舞い降りた最後の救世主である。マツコは正しいテレビのあり方を、身をもって体現している。

 実は服装やメイクに気を遣っていて、言葉遣いも丁寧。毒舌キャラのイメージもあるが、実は目上の人に対しては敬語をきちんと使いこなしているし、ロケ先で出会う一般人にも優しい。

 そのように彼女の立ち振る舞いがきちんとしているのは「テレビの中にいる人はテレビを見ている人に対して失礼のないように振る舞うべきだ」という信念があるからだ。

 テレビが時代遅れのメディアになりつつある今だからこそ、そこで正しいテレビ文化を体現するマツコ・デラックスが輝いて見えるのだろう。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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