東京の地下鉄なのに「千葉の大動脈」に成長 メトロ東西線の実力と空前の大工事が急がれる理由

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ポスターを掲示

 5月11日から12日にかけて、東京と千葉の人の流れを直撃する大工事がある。

 東京メトロ東西線の南砂町駅での線路切替工事で、東西線が一部区間終日運休になる。地下鉄を分断し大きな影響が予想される大工事だが、そもそもなぜ必要になったのか? 半世紀前の予想を超えて便利に“なりすぎた”東西線特有の事情があった。【大宮高史/ライター】

「東西線一部区間終日運休」。昨年秋から、東京メトロの各駅ではこのポスターをいたるところに掲示している。この2日間、東西線の東陽町~西葛西間を運休し、両端の区間で折り返し運転を行う。通常は中野区の中野駅から船橋市の西船橋駅までを結んでいる東西線はこの区間での分断状態になる。運休区間をできるだけ短くするため、本来は中野方面への折り返しができない葛西~西葛西間もこの区間だけを往復する列車を運転し、葛西で西船橋方面の列車に乗り換えられるようにした。

 運休の理由は、南砂町駅の大規模改良工事のため。中野方面と西船橋方面が同じ1面の島式ホームに発着しているが、ホームを増設して分離する。まず中野方面の線路を新線に切り替え、同方面用の新ホームの供用も始めるための運休だ。

 地下にある南砂町駅でのホーム増設は、新しくトンネルを掘削してまで行う大工事で、総工費340億円が見込まれる。運休と大工事を行ってまで、東西線を改良しなければならない事情とは? それこそがまた、同線の強みでもある。

️全線開業は1969年

 東西線の全線開業は1969年。原型の「都市計画5号線」では中野から高田馬場、飯田橋を経て東陽町までの路線で、計画時点では中野側の需要が期待されていた。

 しかし戦後、並行する中央・総武線のバイパス機能を持たせるために5号線を中野から西船橋までの路線とすることが決定。高田馬場~九段下間の開業(1964年)に始まり中野側から掘り進めていき、件の南砂町までは地下線で開業した。

 南砂町から西船橋方面の線路はすぐに地上に出るが、荒川と江戸川を地下でくぐるには難工事となること、当時の沿線は漁村や田畑であったことから建設費削減のために地上を高架線で貫いた。

 経由地、運賃を現在のJRと東西線で比較してみると、メトロの運賃の安さが際立つ。西船橋―中野は東西線快速が約45分でIC運賃324円に対し、JRは御茶ノ水で中央線快速に乗り換えても約45分で、運賃はなんと571円。西船橋―高田馬場はメトロ293円に対しJRが571円、西船橋―飯田橋でもメトロ293円でJRは406円と、並行区間ではどれをとっても東西線の方が安い。

 さらに、ビジネス街の茅場町・日本橋を通り、大手町駅はJR東京駅に近い立地にあり、九段下では日本武道館や靖国神社に近い。それぞれの駅で地下鉄他線に乗り換えられることも含めて、千葉から東京都内に行くにはJRより圧倒的に安くて使いやすいのが東西線だ。西船橋から先のJR区間と東京メトロの運賃を合算しても、時間はかかってもメトロを使った方が安いケースは少なくない。

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