“伝統の一戦”が荒れに荒れ…長嶋監督が頭を丸めた「阪神巨人戦」の大乱闘劇

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死球をめぐってトラブル続き

 1勝1敗で迎えた3連戦最終戦、2対2の8回1死三塁で、巨人のルーキー・高橋由伸が吉田豊彦から右手小指に死球を受けたことがきっかけだった。

 巨人・武上四郎打撃コーチが飛び出し、両手で捕手・矢野輝弘の胸を何度も突いた。阪神戦では7月10日にも藪恵壱から死球を受けた清原和博が「今度来たら顔をゆがめたる」と怒りを爆発させるなど、死球をめぐるトラブルが続き、遺恨めいたものがくすぶっていたが、2日前の事件がきな臭いムードを一層煽り立て、ヒートアップしやすい状況になっていたのも事実だった。

 武上コーチは暴行で退場になったが、これはほんの序曲に過ぎなかった。その裏、捕逸で1点を勝ち越された阪神は、2死から今岡誠の安打と四球で一、二塁のチャンスをつくる。

 ここで長嶋監督は野村貴仁をあきらめ、9回から登板予定だった抑えの槙原寛己を前倒しで投入したが、この交代がさらなる乱闘劇を誘発する。

 槙原は四球で満塁とピンチを広げたあと、ハンセンに右前2点タイムリーを浴び、逆転を許してしまう。さらに新庄剛志にも左越え2点三塁打を許し、3対6とリードを広げられた。

 そして、次打者・矢野に対し、槙原の初球は背中にドスンと当たる死球。状況的に高橋の報復と勘繰られても仕方がなかった。

槙原に飛び膝蹴り

 大熊忠義三塁コーチが鬼の形相でマウンドに突進。いきなり槙原に飛び膝蹴りをお見舞いし、さらにパンチも繰り出す。

 直後、セカンド・仁志敏久、ショート・川相昌弘が「槙原の仇!」とばかりに駆け寄ると、相次いで大熊コーチに飛び膝蹴りを浴びせ、たちまち両軍ナインによる大乱闘に発展した。乱闘の輪の中で、長嶋監督もパウエルを抑え込み、試合は約10分にわたって中断した。

 警告試合が宣告され、大熊コーチが退場処分となって、ようやく試合再開。負傷降板の形になった槙原は「死球のたびに殴られたら、やってられない。こっちは無抵抗なのに、いきなりパンチじゃ、話にならない。病院沙汰になったら、冗談じゃないよ」と怒り心頭だった。

 一方、大熊コーチは「槙原は制球が悪くない(コントロールミスではない)。行かざるを得ない格好になった。頭へ来られたら、いけないと思ったんだ」と故意死球をほのめかし、渡田均球審までが「(槙原の投球は)故意でしょう。みえみえでしたから」と同調。この発言に長嶋監督も「ちょっと問題じゃないか」と疑問を呈し、後日、同球審は連盟から注意を受けている。

長嶋監督は「いやあ、暑いからねえ」

 そして、悪夢のような3連戦を終えた巨人は8月4日、本拠地・東京ドームで広島戦を迎えたが、試合前、長嶋監督が学生時代以来約40年ぶりの坊主頭で球場入りし、周囲を驚かせた。

「いやあ、暑いからねえ」と口では軽くかわしたものの、ガルベス事件と2日後の乱闘劇で世間を騒がしたことへのケジメの意味で頭を丸めたのは明らかだった。

 試合前のミーティングで、長嶋監督は「巨人ファンは(全国で)4000万人といわれるが、そのファンの皆さんが心配してくれている。坊主頭になることは、私にとって大したことじゃない。ただ、批判をきっちり受け止めるということで形に表した。今日を再起への第1歩にしようじゃないか」と呼びかけ、ナインを鼓舞した。
 
 同日の広島戦は、「ああいう試合のあとやから、何とかいい試合を見せなあかんと思うとったし、球場に来て監督の頭を見て、もっと気合が入ったわ」という清原の15号2ランなどで6対5の勝利。指揮官が身をもって示した新たな第1歩を白星で飾っている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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