小説家・北沢陶がお気に入りの湯飲み使えずにいる理由 ベトナムで購入した「バッチャン焼き」の不思議な魅力
「名人の作ったものですよ」
工場見学の後に売店に案内され、買い物の時間となった。商品のほとんどが絵の描かれた陶器だったのだが、ふと気になるものを見つけた。
湯飲みといえばいいのか。模様はなく、竹のような色合いで、釉薬を垂らして焼いた跡があり、光の具合によって虹色に見える部分もある。異彩を放つ存在感に引き寄せられ、足を止めて見ていると、日本語を喋れる店員さんが「それは名人の作ったものですよ」と話しかけてきた。
「名人」という漠然とした言葉に、「作った方のお名前は」と思わず聞き返したのだが、「名人ですよ」と繰り返され、(なるほど、よく分からないが名人なのか)と思うほかなかった。
少し高値だったが、結局その湯飲みを買った。名人が作ったものだから、というわけではない。ただ引きつけられたから買ったのだ。
バッチャン焼きが頑丈なのは分かっているので、遠慮なく使っていいはずなのだが、万が一割れるのを恐れて「名人」の作品を使えずにいる。けれども、この陶器を手に取るたびに落ち着いた色合い、適度な重みに安心感を覚え、どことなく心が和むのだ。
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