元中日の強打者からアントニオ猪木に渡され、北朝鮮へ…「力道山のゴルフクラブ」秘話
力道山の交友関係は華やかだった
力道山は野球が好きで、豪快なホームランで神宮を沸かせていた森の名前を知っていた。それが幼い日に遊んであげた子と結びついていなかったのだ。それ以降、2人の交友関係は、力道山が亡くなる日まで続くことになる。
プロ野球選手になった森徹は、東京での試合が終わると、赤坂にあるクラブ・リキに通うようになった。しょっちゅう電話がかかってきて、飲みに連れ出された。
「『今日、かわいい女優さんが来るんだ、出て来いよ』とか言ってね。ものすごい照れ屋だったから、1人で会えないんだ。あるいは1人でいるのが淋しいから、『ステーキでも食いに行くか』とか。2人の間に、とくに話はないんだよ。ただ黙々と食って、黙々と飲む」
時代は高度成長期にさしかかる頃、力道山の交友関係は華やかだった。年末、力道山の家で恒例の餅つきがあった。芸能人やスポーツ選手が集い、その中には石原裕次郎もいた。
「裕次郎が、力さんのベンツ300SLを欲しがって、売ってあげたことがあった。カモメの翼みたいにドアが上に開くガルウィングの高級車。力さんと一緒にそのベンツに乗って裕次郎の新居まで届けた思い出もある」
出自を語らぬヒーローとともに
力道山は生前、出自をあきらかにしなかった。国民のほとんどが、彼は日本人であると思っていた。なにしろ、憎きアメリカ人をやっつける正義のヒーローなのだから。前述したように、親しかった森徹にも何も話していなかった。
力道山の故郷は、朝鮮半島の咸鏡南道洪原郡(現北朝鮮)である。本名は金信洛。6人兄弟の末っ子として生まれた。生まれつき体が頑強で、兄とともに朝鮮相撲で名を上げた。
信格が10代半ばの頃、この地を訪れた日本の相撲関係者が彼に目をつけ二所ノ関部屋にスカウトする。彼は故郷を離れ、日本に渡る決心をした。やがてその関係者、長崎県大村市の百田家の養子となり、百田光浩と名乗った。
入門後、一度だけ故郷に帰ったことがある。そのときに娘(金英淑)をもうけたという。だがそれ以後、力道山が故郷に帰ることは二度となかった。
晩年、招かれて韓国を訪問したときのこと。このとき力道山は国境の板門店で上半身裸になり、北の祖国に向けて雄叫びを上げたという。
そんなことも、森徹は力道山亡き後に初めて知ったという。
「故郷を離れて日本でヒーローになった。常に強くなければいけないという精神的な負担は、誰よりも強かったと思う。絶対に弱いところは見せられない。常にスーパーマンじゃなきゃいけない。だから酒の飲み方にしても、ちびちびとは飲めなかった」
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