話題の漫画『ぼっち死の館』、78歳女性漫画家が語る“私の退屈しない、悲惨な人生” 最大の苦労は元週刊誌記者の夫
遅咲きデビューも悪くない
では、齋藤さんの人生で最も大きな苦労とは?
「8年前に亡くなった、10歳上のダメ夫です。とにかくダメな男でした。何がダメって、一番は働かないこと。元は週刊誌の記者だったんですけど、小説家になるんだと言って辞めてしまって。その後は仕事はしないで、ずっと私にタカりっ放し。万年筆はこれだ、原稿用紙はここじゃなきゃダメだと、とにかく形から入るんです。それで小説を書くわけでもなし、上から目線でプライドばかり高くて」
別れようと思ったことはなかったのか?
「だって…私と別れたら、あの人は生きていけないだろうし…うまく別れることができなかったんですよ(笑)。その夫が、脳出血で倒れたんです。会話と右半身が不自由になって11年、介護しました。これが本当に大変でした」
この頃、齋藤さんは京都精華大学マンガ学部で講師を務めており、毎週、東京と京都を往復する日々でもあった。それでもできるだけの事はしてあげようと、夫の介護をこなした。
「ある朝、夫は亡くなっていました。とにかくおでこの広い人だったんです。思わず私、そのおでこに手を置いて、夫に『面白かったね』と言ったんです。まぁ、とんでもない人で、本当に苦労しましたが、よーく考えてみると色々と面白かったんです。真面目な普通の人が夫だったら私、飽きちゃったかもしれない。この人が夫でよかったなと、亡くなった時にそう思えたんです」
「退屈しない、悲惨な人生」は面白かったという齋藤さん。一連の経験は、漫画の創作にも生かされているという。
「目の前で見聞きしたことや、自分で経験したことがストーリーのヒントになることは多いです。あと、本で読んだいい文章からイメージが湧くことも多いですね。1行からでもアイデアが浮かぶことがあります。寝る前に本を読んでいる時、いい一行にぶつかると、これだ! と思うんです」
哲学者の柄谷行人(82)や丸山圭三郎(1933~93)の著作や、『月山』で第70回芥川賞を受賞した森敦(1912~89)の『意味の変容』などに、ヒントを得ているという。京都精華大時代の教え子も何人かプロデビューしている。だが、自身の仕事が忙しく、誰が何を描いているのか把握していないとか。多作ではないものの、担当編集者と連絡を密にとりながら創作に励む齋藤さんは、自宅で漫画教室も開いている。
「教室には若い子も来るのですが、今、流行りの言葉とか教えてもらえるんです。この前、教えてもらったのが『星くず男子』。星のようにキラキラときれいなんだけど、クズみたいな男、という意味です。若い人と接するのはいい刺激になりますね。私は漫画家としては遅咲きでしたが、年を重ねて色々と経験してきたことがあるから、描きたいことが湧いてくる。特に今はそう感じます。遅咲きデビューも決して悪くはないですよ」
どこまでも前向きで、ポジティブ思考の齋藤さん。「孤独死」という重いテーマを、新しい感覚で描いた『ぼっち死の館』はおススメだ。