ここにきて「Wikipedia 3大文学」に脚光…絶版の「原典」復刊、文庫フェア開催を実現させた“書店員の熱意”

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「腹破らんでくれ!」

 まずは『羆嵐』の「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん )」から。

 1915年に北海道の三毛別で起きた凄惨な熊害事件。エゾヒグマが開拓民の集落を二度にわたって襲撃し、死者7名(うち胎児1名)、負傷者3名を出した大惨事である。

 最初の犠牲者が出たのは12月10日のこと。太田家の内縁の妻・マユと養子に迎える予定だった幹雄(6歳)がクマに襲われ死亡した。幹雄の遺体には喉と側頭部に親指大の穴があき、マユの遺体は脚のひざ下部分と頭蓋の一部しか残っていなかった。

 翌日の夜、村民たちが2人の通夜を執り行っていたところで、二度目の襲撃が起きる。“獲物”を取り返しにきたのだろうか。昨日2人を襲ったクマが、通夜に乱入してきたのである。棺桶に入っていた2人の遺体は散らばり、恐怖にかられた参列者たちは四方八方に逃げ回る大パニックとなる。

 ほどなく、通夜のあった家から熊の姿は見えなくなったが、今度は別の家族が襲撃を受け、そこでは胎児を含む5人が殺害されることに。この時に食い殺された妊婦のタケが胎児の命乞いをした際のセリフ「腹破らんでくれ!」は、多くのWiki読者にトラウマを与えてきた。

『羆嵐』では、わずか2日間で7人もの命を奪った“人喰いエゾヒグマ”を前に、なす術のない人間たちの様子と、その中でただ一人、冷静沈着にクマと対決する老練な猟師の姿が圧倒的なリアリティで描かれている。

「天は我々を見放した」

『八甲田山死の彷徨』で描かれる「八甲田雪中行軍遭難事件」は、1902年に旧日本陸軍の第8師団歩兵第5連隊が雪中行軍中に起こした山岳遭難事件。

 1894年の日清戦争における冬季寒冷地での戦闘で苦戦を強いられた日本陸軍は、さらなる厳寒の地、ロシアでの戦いを想定し、青森市街から八甲田山の温泉地・田代元湯にかけての雪中行軍を敢行する。

 1902年1月23日から片道約20キロ、1泊2日で計画された行軍訓練には、青森歩兵第5連隊の210名が参加。しかし、指揮系統の乱れなど致命的なミスが重なり、結果的には210名のうち、実に199名が死亡するという大惨事に。最終的な生存者11名も、多くが四肢切断など重傷を負った。

『八甲田山死の彷徨』では、同時期に11泊12日の行軍を実施しながら、全員が生還した少数精鋭部隊「弘前第31連隊」との対比から、組織とリーダーの在り方と、自然と人間との闘いを鮮やかに描いている。

『八甲田山』(1977年公開/東宝配給)のタイトルで、高倉健と北大路欣也のW主演による映画化もされており、劇中での司令官役・北大路が発する台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語にもなっている。

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