「“たけし軍団”結成のきっかけは僕らが作ったようなもの」 サンミュージック社長に就任した「ブッチャーブラザーズ・リッキー」が明かす“東京芸人”秘話

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「ビートたけしさんが“おもしろそうだな。俺も行く”と」

 そして、この時、ダンカンがビートたけしの下へ移籍したことが、大きな展開を生む。「たけし軍団」結成につながっていくのだ。岡社長は言う。

「たけし軍団ができるきっかけは、僕らが作ったようなもんなんですよ」

 どういうことか?

「同じ事務所の太川陽介の野球チームが試合を組んでいたのに、太川らが地方から帰って来られないことがありました。僕らもメンバーだったので、人数を揃えるためダンカンに『たけしさんの他の弟子も連れて来て』と頼み、それからぶっちゃあがよく行っていた新宿の『ポプラ』という店の店員、芸人『カージナルス』のタカとポポを誘いました。後のガダルカナル・タカとつまみ枝豆です。あと東映京都撮影所時代からの仲間、俳優の徳井優にも声をかけました」

 この時点でタカと枝豆はビートたけしと接点がなかった。

「早朝の神宮のグラウンドで待っていたら、ダンカンとそのまんま東、大森うたえもん、松尾伴内らが来て、その後ろに、あれ? 高田文夫先生!? その横にえらいオーラがある人が……。え!たけしさん!? ダンカンによればニッポン放送の『ビートたけしのオールナイトニッポン』終わりで、ダンカンが“これからみんなで神宮外苑に野球しに行くんですよ”と言ったら、たけしさんが“おもしろそうだな。俺も行く”と来てくれたと。もうびっくりしました」

 携帯電話などない時代。突然現れたビートたけしに、ブッチャーブラザーズもカージナルスも驚いた。

野球チームが“たけし軍団”に

「みんなで野球をやって、その後、たけしさんが“朝メシ食べようか。新宿に行けば朝からやってる店があるだろう”って、みんなで国鉄(当時)に乗って移動しました。朝9時半ごろで乗客が多かったので、たけしさんは“バレるとマズいな”とタオルでほっかむりをしてたんですが、もちろん、すぐバレました(笑)」

 新宿でたけしや弟子たちと朝食を食べていた時のことだ。

「野球が楽しかったのでしょう。上機嫌のたけしさんは“俺も野球チーム作るか”と言い、後日、本当にメンバーを集めてチームを作りました。その面々が“たけし軍団”になっていったんです。タカとポポは入っていた事務所が倒産してポプラで働いていたんですが、これ以降、ダンカンや他の弟子たちが店によく顔を出すようになり、たけしさんも行くようになって、揃って弟子入りしました」

 ブッチャーブラザーズの2人が飯塚君の才能を買い、たけしの弟子になるきっかけを作らなければ、草野球にたけしが来ることはなく、タカ&枝豆が弟子になることも、たけし軍団があの形で結成されることもなかっただろう。2人は人知れず、昭和の芸能界における大きな“分岐点”を作っていた。

 ちなみに、ブッチャーブラザーズは「“お前らは野球が下手だから”と弟子入りを断られました(笑)。すでに事務所に入ってましたしね」

中編【「ザキヤマはめちゃくちゃまじめでした(笑)」 「サンミュージック社長」が養成スクール講師時代に衝撃を受けた“2人の生徒”とは?】に続く。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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