「舌を抜かれて地獄に落ちますからね」…終戦直後から平成まで“偽皇族”を貫いた「増田きぬ」が、米寿目前で語っていた過去と残りの人生

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いいえ、裁判には勝ちましたから

 今回、皇族詐称(疑惑)に関する彼女への具体的な質問は、ことごとく、やんわりと、はぐらかされてしまった。記憶も、ところどころ曖昧になっているようで、事実関係を訊き始めると、話はわき道にそれ“迷宮”の中に入ってしまう。

 たとえば、東久邇稔彦氏との入籍問題を問うと、彼女は次のように答えた。

「ええ裁判には勝ちました。最高裁の判決で私が負けた? いいえ、裁判には勝ちましたから。婚姻の事実があるということが、きちんと認められたんです。そもそも稔彦と籍を入れたきっかけは――生前、稔彦の奥様の聡子さんが、紅葉狩りと称して、強羅の私の家に泊まりに来たことがあったんです。南米に養子に出されていた、3番目のご子息の方とご一緒に。『ロマンスカーに乗ったことがないから』と言って、ロマンスカーでいらしたんです。私は小田原まで迎えに行きました。そのとき聰子さんに、『自分は病気なので、もしものことがあったら(稔彦氏を)お願いします』と、頼まれたのです……」

 愛人の噂があった久邇朝融については、「私の17歳のころの『リーベ(恋人)』でしたの」と、説明してくれた。

「私たち、お互いに好きになったんですが、当時朝融は宮様でしたから、離婚することができません。それでも本人は離婚すると騒いで……。そんなことがあったので、戦後、私は単身でアメリカに渡ったんです。以来、いろいろな財閥の方とか、公爵とか伯爵の方々から、結婚の話をいただいたものです。でも、みな丁重にお断りしました。一緒になれなくても、やはり私は朝融が好きだったからです……」

 若い頃の話になると、老女の声は、心なしか艶やかな声になった。

残りの人生、美しい華を咲かせていきたい

 ところで、現在の生活費はどのように賄っているのだろうか?

「アメリカに留学していた頃、デパートを経営しており、そのときの貯金で、なんとか暮らしています。もう歳ですから、少し食べるだけで、生活はできるんです。以前はお手伝いさんが、5人くらいいましたが、経費削減のため、2年前から2人にしました。

 それに、お寺の社に、存じ上げない方たちが、通りがかりにお賽銭を入れてくれるのです。月の初めに、そのお賽銭箱を開けて、お手伝いさんたちと3人で、平等に分けるようにしています。ほんのわずかな金額ですけれど……」

“椿姫”は今年で88歳。しかしまだ人生にはやり残したことがある、と言う。この話になると、急に声のトーンが変わり、力が漲ってきた。

「もう財産はありませんが、美術品をたくさん持っているので、それを処分して、ちょっとメイク・マネーしまして、慈善事業的なことをしようと計画しているんです。ひとつでもいいことをしておかないと、“お前は何をやってきたんだ!”と、閻魔様に叱られますから。舌を抜かれて、地獄に落ちますからね。

 これからの残りの人生、美しい華を咲かせていきたいと思います。見ていてください。近いうちに、必ずやりますから。そのときには、またご報告しますよ」

 受話器から流れてくる声は、いつしか奇妙な活気に満ち溢れていた。そして最後には、「元気になったら、おいしいご馳走でもご一緒しながら、ゆっくりお話しましょう。これを機に親しくなれるといいですね――」と、楽しげに宣言した。

 昭和の時代を生き抜いた怪女は、いまだ健在で、未来だけを眺めているようだった。

上條昌史(かみじょうまさし)
ノンフィクション・ライター。1961年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。編集プロダクションを経てフリーに。事件、政治、ビジネスなど幅広い分野で執筆活動を行う。共著に『殺人者はそこにいる』など。

デイリー新潮編集部

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