「舌を抜かれて地獄に落ちますからね」…終戦直後から平成まで“偽皇族”を貫いた「増田きぬ」が、米寿目前で語っていた過去と残りの人生
モダンなお婆ちゃんという感じ
その昔、4000坪あったという土地は切り売りされ、現在、電鉄系のリゾートマンションが立ち並び、残された“金閣寺”の土地と家屋は、現在箱根町に差し押さえられている。箱根町に事情を聞くと、「個人的な情報は明かせませんが、一般的に税金を滞納し、返済の見込みがないと判断した場合に差し押さえを行います」(箱根町税務課)とのこと。
木立の中の“金閣寺”は、確かに落日のうらぶれた感がある。付近の住人によれば、「東麗寺」の社には賽銭箱があるものの、参詣する人の姿は殆どなく、地元の自治会にも顔を出さないため、彼女が日々どのような暮らしをしているのか、皆目わからないという。
「1、2年前までは、時々近所の園芸店に花を買いに来ていました。華奢な体で、ピンク色の服を着て、モダンなお婆ちゃんという感じでした。でも1000円、2000円の買い物を、いつも100円玉で払うので、お寺のお賽銭で買い物をしているのかな、と思ったりもしました」(近隣の女性)
世間から半ば隠遁し、地元ではすでに伝説の人物になっているようだった。
“金閣寺”の裏手には勝手口があり、結局そこで、お手伝いさんが応対してくれた。
彼女の話によると、“椿姫”はこの冬に体調を崩し、いまは、起き上がることもままならない状態だという。ただし直通の電話があるので、そこに電話をしてくれたら、もしかしたら取材に応じるかもしれない、と教えてくれた。
“椿姫”が語った強羅での生活
そこで後日、教えられた番号に電話をすると、消え入るような小さな声の“椿姫”が、受話器をとった。
「私、生まれて初めて、足と手が痛くなって、救急車で病院に運ばれて、先日まで、3日間ほど入院していたんです。左の腰に激痛が走るので、まだモノにつかまらないと歩けない状態で……」
体調のことを除けば、現在の強羅での生活は、静かで穏やかなものだ、と言う。
数年前、京都の醍醐寺で得度をし、仏門に入った。高野山や遠い地へ出かけ、滝に打たれるなどの厳しい修行を積んできた。今は朝晩にお経をあげ、“お隠れ”になった皇族の知り合いや、戦死した財閥の子息たちの冥福を祈る毎日だという。
そんな彼女の心の慰めになっているのが、“一緒に住んでいる”猫たちである。
「私は、父も母もなく孤独に育ちましたから、捨てられた動物をかわいそうに思いまして、いま野良猫ちゃんを十数匹飼っているんです。洋間を2つ、猫のために使っていて、餌の缶詰を東京から月に2、3回送ってもらい、お刺身やらお肉やら、好きなものを食べさせてあげているんです」
増田きぬには、実父母も姉妹もいたはずだが、彼女の中では、やはり今も、北白川のご落胤、という事実があるだけのようだった。
[3/4ページ]