「舌を抜かれて地獄に落ちますからね」…終戦直後から平成まで“偽皇族”を貫いた「増田きぬ」が、米寿目前で語っていた過去と残りの人生

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元華族が取締役の「謎の企業」

 その後の彼女の活動で、判明していることといえば、平成14年に「公照院紫香」と改名したこと。また自身が取締役であった「久邇ウエルネス」という会社を、同年解散していることくらいである。

 ちなみに、「久邇ウエルネス」の取締役には、元華族(これは本物の)二條恭仁子(くにこ)氏らが名を連ねている。「李方子王妃碑」の建設委員長としても名が出てい恭仁子氏は、すでに亡くなっており、ご子息の基敬(もとゆき)氏(彼自身も取締役として登記に記載)に、同社の活動内容を尋ねると、「そんな会社のことは全く知らない」という、戸惑い気味の答えが返ってきた。

「増田きぬは、亡くなった母が知っていたかもしれないが、私自身は面識もない。久邇ウエルネスなんて会社は知らないし、もちろん取締役になっていた事実もない。なにか報酬が発生したこともないし、とにかくそんな会社の名前は聞いたこともない」

 彼女は元華族の名を勝手に借りて、その会社で何かをやろうとしていたのだろうか。いずれにしても、その試みはうまくいかなかったようだ。

あながち信憑性がないとはいえない

 彼女とは古くからの知り合いであるという皇室ジャーナリストの河原敏明氏は、彼女の人間性やご落胤説について、次のように語る。

「はっきり言いまして、皇族関係では彼女の評判は悪く、相手にされていないというのが実情です。でも、私は彼女が若い頃からよく知っていますが、人間としてそれほど悪党には見えないんです。一言でいえば、女実業家ぶって、名を顕したいという面が多分にあって、失敗して抜き差しならないことになってしまった人間、という感じがします。

 詐欺まがいのこともずいぶんやっていますが、最初から詐欺をするつもりだったことは少ないのではないでしょうか。むしろそんな彼女を利用して金儲けをしようとする連中に、うまく騙されてしまっているケースが多いように思います。

 北白川のご落胤説については、否定的な見解が多いですが、私はあながち信憑性がないとはいえないと思うんです。小さい頃から姉妹と違う待遇を受けていたのは事実ですし、強羅の地所にしても、昔は隣が北白川の土地だったんです。また彼女は顔がよく、若い頃から非常に色が白いのですが、北白川の系統は皆、色が真っ白という特徴があるのです。ただし、ご落胤説が本当だとしたら、東久邇の名を騙ることなく、ずっと北白川で通したほうが人間として立派だったという気はしますが……」

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