元皇族の庶子を自称、17歳で宮様と熱愛、元首相と勝手に入籍…皇族詐欺の元祖「増田きぬ」の波乱万丈人生
さまざまなトラブル
すでに聡子夫人が存命中から、東久邇夫人然として、稔彦氏の誕生パーティーなどでは並んで席についていたという増田きぬだが、「戸籍夫人」となってからは、すっかり元皇族・東久邇夫人になりきって活動するようになった。
たとえば、稔彦氏を会長に据えた「スリランカ孤児身障児援助の会」を作り、自身は「東久邇晶子」と皇族ふうに名を変え、理事長として、スリランカ・チャリティー宝石旅行などを企画する。デバートやホテル、宝飾店などに「東久邇ですが」と電話をして、品物を取り寄せたり、部屋を予約したりするようになる。
しかし週刊誌などで、裁判中の「戸籍夫人」と騒がれ、東久邇の神通力に影がさすと、次第にトラブルが表面に現れ始めた。
まず、スリランカ・チャリティー宝石旅行の時、250万円のダイヤを寸借したのがもとで、宝石屋と絶縁状態に。さらに、元皇族だからと相手を信用させて、他人の絵を売ろうとしたり、宝石を持ち歩いて金を借りようとするという行為をあちこちではたらき、昭和58年には、ある会社の社長に借りた1000万円を返済せず、民事訴訟を起 こされた。
この社長、菊の御紋章が入った東久邇の名刺を渡され、紫の帽子を被った女官風の女性(のちに増田きぬの実妹と判明)が付き添っていたため、すっかり騙されてしまったという。
最高裁で「婚姻無効」が確定しても…
昭和61年には、箱根強羅の自宅の隣に、「竜宮殿金閣社殿」(冒頭の“金閣寺”のこと)を建立、同時に「椿山荘」の改修工事を行った。“金閣寺”は京都にある宗教法人「平安教団」の分院という触れ込みで、送り盆の行事には、元皇族をはじめ、大物政治家たちの秘書らも顔を出したというが、翌年「椿山荘」の改修工事を請負った建築会社から、工事代金5400万円のうち、未払いの3400万円の支払いを求める訴訟を起 こされてしまう。
そもそも、改修した「椿山荘」は、「金閣社殿」を建てたとき、集まってくる信者のための旅館、あるいは会員制のクラブとして使用し、収益を上げる予定だったという。しかしその後、信者が訪れる様子もなく、「椿山荘」は開店休業状態。改修工事代金を、払おうにも払えなくなってしまったのである。
結局、「婚姻無効」の裁判の方も、昭和62年3月、東京高裁で一審判決が覆されて「婚姻無効」の判決が出され、同年6月26日、最高裁で最終的な「婚姻無効」が確定した。
東久邇稔彦氏は、この判決を受けた3年後に、102歳という高齢で亡くなった。一方、増田きぬは、裁判に負け、除籍され、借りた金を返さずに次々と訴えられ、窮地に陥っていたはずだが、そうした事態になっても、生き方は変わらなかった。判決後も懲りた様子がなく、「東久邇紫香」と名を変え、“元皇族”としての活動を続けていたのである。
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後編では、増田きぬと古くからの知り合いである皇室ジャーナリストがその素顔を、近隣住民が目撃談を証言。筆者が成功した増田きぬ本人の電話取材についても、その内容を詳細にお届けする。
後編【「舌を抜かれて地獄に落ちますからね」…終戦直後から平成まで“偽皇族”を貫いた「増田きぬ」が、米寿目前で語っていた過去と残りの人生】につづく
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