元皇族の庶子を自称、17歳で宮様と熱愛、元首相と勝手に入籍…皇族詐欺の元祖「増田きぬ」の波乱万丈人生

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「皇族詐欺」という犯罪のジャンルがある。皇室の出自であると偽って詐欺をはたらくことで、昭和天皇のご落胤(らくいん、身分の高い男性が正妻以外との間にもうけた子ども)や「有栖川識仁殿下」など、国内外に現れた“偽皇族”は数多い。その中でも元祖と見られていたのは、終戦直後から元皇族・北白川宮(きたしらかわのみや)のご落胤、および久邇宮朝融(くにのみや・あさあきら)王の愛人などを自称した「増田きぬ」である。

 昭和53年には元皇族・東久邇稔彦(ひがしくに・なるひこ)氏の“戸籍妻”として注目され、その後も数々の訴訟や詐欺スレスレの行為が報じられた。それから数十年が過ぎた2005年、ノンフィクションライターの上條昌史氏が米寿目前の増田きぬに 追った。

(前後編記事の前編・「新潮45」2005年8月号特集「昭和史七大『猛女怪女』列伝 元祖偽皇族『東久邇きぬ』という謎」をもとに再構成しました。文中の年齢、肩書、年代表記等は執筆当時のものです)

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はたして“椿姫”は健在なのか

 箱根登山鉄道ケーブルカーを中強羅駅で降り、旅館や保養所が並ぶ道を歩いていくと、小高い丘の上の木立の中に、突如“金閣寺”が現れる。三層になった屋根に朱色の手摺、屋根の上には鳳凰。石段の下には「真言宗東麗寺」という立て札が建っている。

 近隣に住む人々は、その“金閣寺”の住人を「お姫様」「椿姫」と呼んでいる。現在88歳になる老女の本当の名は「公照院紫香」、3年前に改名する前の本名は「増田きぬ」という。

 終戦直後に、元皇族の北白川宮の“ご落胤”にして、久邇宮朝融王の愛人と自称して有名になり、昭和53年に、元皇族で戦後初の総理大臣を務めた東久邇稔彦氏の“戸籍妻”として話題になった女性である。一昨年「有栖川宮」を名乗った披露宴詐欺事件があったが、この“椿姫”こそ、いわば皇族詐称の元祖、と見る向きもある。

 石段を登ると、中庭に小さな社と石碑が建っている。社は龍神王を祭ったもの、そして石碑には「李方子(り・まさこ)王妃碑」という文字が刻まれている。戦前、朝鮮李王朝の皇太子へ嫁いだ皇族、梨本宮方子妃を偲んだ顕彰碑らしい。

“金閣寺”の正面玄関はひっそりとしていた。呼び鈴を押すが応答はない。濡れた傘が玄関脇に置かれて雫が垂れている。よく見ると、朱色の手摺は錆びで覆われ、ところどころ朽ちかけている。はたして“椿姫”は健在なのだろうか。野良猫が木立の間を走り抜ける。

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