同志社女子大時代は飛び込み営業1日40件 22歳で結婚、29歳で離婚、韓国で騙し合い…「第2のアンミカ」が明かす壮絶人生

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ユヒャン、インタビュー後編

前編【千鳥も脱帽した「第2のアンミカ」の“ロケ”スキル サウジアラビア大使館の人と「何語か分からへん言葉で2時間」】からのつづき

 関西のバラエティ番組を中心に活躍する“パッション美容家”ユヒャン(38)。情熱的な様子に元気をもらっている視聴者も多いだろう。「第2のアンミカ」と言われる彼女だが、大学卒業後、すぐに結婚。だが、その生活は7年間でピリオドを打つ。その後、韓国で起業するなど、波乱にみちた人生を送ってきた。その半生を振り返ってもらった。

――「第2のアンミカ」と言われていますが、いかがですか。

 いや、もう、ミカ先生には足元にも及ばないです。キャラは全然違うかなと思っています。ただ、私も、順風満帆な人生ではなかったですね。山あり谷あり谷底の人生を歩んできたので、その辺のトークはできると思っています。

――もし、可能であれば、山や谷、谷底の話を伺いたいのですが。

 実は23歳で結婚していて、29歳で離婚しているんです。その離婚のタイミングで、韓国に渡りました。韓国では7年間生活したんですが、何の人脈もないまま、会社を立ち上げました。最初の2年ぐらいは寝ずに働きまくっていましたね。

――会社は、どのようなことをしていたのですか。

 美容や観光関連です。公の仕事をしたいと思っていましたので、区役所などに「プレゼンさせてください」と飛び込みで営業をかけたりしていました。かなり泥臭いことをやっていましたね。

――韓国での生活はいかがでしたか。

 本当に大変でした。騙し合いがあったり、盗難にあったり、不法侵入にもあったりしました。ある会社から「企画書を出してくれ」と言われて、出したら、ネタを全部もっていかれたりして…。病気になり手術もしました。

中学も高校も生徒会長

――色々あった中で、2年前に日本に戻ってきた理由は何ですか。

 父の体調が悪く、両親が「帰ってきてほしい」「実家の経営を手伝ってほしい」ということで、大阪の実家に戻りました。

――20代はどのように過ごしましたか。

 結婚生活が主でしたが、婦人疾患を患ったりして、精神的にダメージを受けたこともありました。ただ、その体調不良がきっかけで、韓国の美容や食を取り入れて、「子供を産める体になりたい」と思って勉強してきました。

――その時の経験が今に生きているということでしょうか。

 そうですね。本当にネガティブになっても1円にもなりませんので、前に進むしかない。悩んでもしょうがないし、なるようになる。ただ、人生ってうまくいかない時の“待ち時間”をしっかり耐えながら、どれだけ努力できるかが大切だと思っています。

――学生時代はどのように過ごしたのでしょうか。

 中学も高校も生徒会長をやっていました。同志社女子大学時代は、リクルートでアルバイトをやっていて、1日40件の飛び込み営業をやったことがあります。リクルートの企業ビデオにも採用されるぐらい、営業で結果を出していました。

――人生のターニングポイントはいつでしょうか。

 2年前に日本に帰ってきた時ですね。その前に韓国でアパレル会社を立ち上げたんですが、コロナ禍になって、人生の計画がだいぶ変わってしまいました。アパレルが全く売れなくなってしまい、結果が出ないような時期が続いたんです。これは手放すっていうことを覚えた方がいいのかなと思うようになりました。

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