旭日双光章「タイガー・ジェット・シン」は資産50億超、学校や財団を運営するカナダの大実業家だった
タイガー・ジェット・シン財団
シンは1990年より一旦、新日本に復帰し、後にはFMWやNOW、IWAジャパンにも参戦。日本での知名度からか、茨城県つくば市には、親戚が経営し、自らの写真を看板にしたインド料理店があった(現在は看板デザインは変更)。さらに、シンが好きな女優を聞くと驚く。なんと、吉永小百合だった。
「俺はかつて、アメリカ、カナダ、インドの女優を観て来たが、サユリほど上品で美しい女性はいない」(2002年2月22日IWAジャパン大阪大会にて)
この発言の直近には念願の2ショット撮影も実現。70年代、新日本プロレスで通訳を務めていた女性がこの時期、吉永のマネージャーをしており、シンの悲願を覚えていたからこそ実現したものであった。ということは、相当昔から“サユリスト”だったことになる。そのシンが、こう呟いたことがある。
〈サユリさんに、誤解されやすい私の、本当の姿、生きざまを知ってほしい〉(前出・拙著より)
実はシンが凶悪レスラーなのは、日本だけのこと。地元のカナダでは、タクシー運転手なら誰もが知っている大豪邸に住む成功した実業家であり、篤志家だった。
きっかけは、まさに日本において猪木と抗争していた時期だった。毎回、怪我をして帰って来るシンに妻がアドバイスしたという。
「長くは出来ないかも知れないから、今のうちに引退後のことを考えておいた方がいい」
そこで、日本で得たファイトマネーをもとに、エビの輸入業や、鶏卵ビジネス、及び陶器を中心とした土産物事業を手掛けると、これが大当たり。先に触れたカナダの大豪邸は、部屋数23を誇り、地下のリビングルームの広さは何と100畳以上。テニスコートやゴルフコースも敷地内に完備され、バスルームは来客用やトレーニング室のものも含め13も設置されている。ヘリコプターも持っているというから凄い。名士として、地元ではCMにも多数出演。資産は1990年代中盤に50億円以上はあったというが、以降は数えるのを止めたという。
そして2000年代からは、教育への援助や福祉活動への寄付も含めた社会活動に積極的に参画し、2009年には公立学校「タイガー・ジェット・シン・パブリック・スクール」が開校。シンの名が冠された通りも現地には存在する。2010年には、「タイガー・ジェット・シン財団」を設立し、翌年起こった東日本大震災に心を痛め、200万円以上を同財団から寄付。こちらは日本政府から表彰もされている。この時、シンはこうコメントした。
「日本は実家のようなものだから」
そして、ビジネスが成功した理由については、次のように語っている。
〈アメリカ人とビジネスしなかったのが良かった。彼らは心のつながりでビジネスをしない。マネーのつながりがビジネスなんだ。(中略)その点、アジア人はハートのつながりを大切にする。(中略)時間をかけて築いたものはマネーより強力だ〉(「週刊プロレス」2010年5月19日号)。
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