難破船の船長は餓死した船員の肉を…食人という“十字架”を背負った男にとって最も辛かった風評とは【ひかりごけ事件の真相】

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「食って食って食いまくった」

 しかし、それだけではひもじさは募る一方で、体は急速に衰弱。昭和19年の正月を迎える頃には2人とも意識がもうろうとし、夢もうつつも区別がつかない状態になっていた。そして1月18日頃、西川が餓死した。

 その2、3日後のことである。

「シゲの肉食べたのはひもじくてひもじくてどうにもならなくて、ただ食べたってことだろうなあ」
「台所にあった包丁を持ち出し、(中略)屍の肉をそいだ。(中略)人間の肉をそぐなんていう気持ちじゃなかったように思う。なにか動物の肉でも食べるつもりで肉そいだんじゃないかな。その肉を煮たり焼いたりして食べた」
「内股から食べたのかな。わし、どこでもいい、なんでもいいって、手当たりしだいに肉そいで、ただむちゃくちゃに食って食って食いまくった。(中略)ああ、うまいなあって思ったのはだいぶ後になってから」(前出『「ひかりごけ」事件 難破船長食人犯罪の真相』)

 船長は、死骸を食べ始めてから急速に体力を回復し、1月31日頃、脱出を決意。少年の骨を丁寧にリンゴ箱に収めて岩場に置き、漂着した流氷伝いに歩いてルシャまでたどり着いたのである。

懲役1年の実刑判決

 船長は人々から、「何を食べて生きていたんですか?」と聞かれるのが一番つらかったと言う。

「だって人間の肉食って生きてたんだもん。しかしそれを言ったらどうなるかくらいわかってるから、仕方なく、『トッカリの屍が漂着したので、それを食べていました』って答えた。(中略)いずればれて地獄へ堕ちるんだって自分に言い聞かせながら、馬鹿の一つ覚えみたいに、トッカリを食べて生き抜きましたって答えたんだ。そのたびにいたたまれない気持ちになった」(前出『「ひかりごけ」事件 難破船長食人犯罪の真相』)

 検事局は、船長を死体損壊罪で起訴した。「食人」そのものを罰する法律がなかったからである。裁判は非公開で行なわれ、新聞も一行も報じないまま、昭和19年8月、被告人は心神耗弱の状態にあったとされ、懲役1年の実刑判決が言い渡された。

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