難破船の船長は餓死した船員の肉を…食人という“十字架”を背負った男にとって最も辛かった風評とは【ひかりごけ事件の真相】
人骨と表皮が詰まった箱
そこで、巡査部長は2月半ば、他3名とともにペキンノ鼻に調査に向かい、船長が一冬過ごした番屋を発見。筵(むしろ)に血痕が付着しているのを確認して、船長が他の船員を殺しその人肉を食っていたとにらんだ。さらに近くで、乗組員の1人の凍死体を発見した。しかし雪が深く、それ以上の調査はできなかった。
それから3ヵ月がたった5月10日頃、ペキンノ鼻に出かけた漁師は、自分の番屋内に何者かが入り込んだ形跡があるのを見つけた。付近の岩場を調べると、人骨と剥ぎとられた表皮がぎっしり詰まったリンゴ箱があった。また、ウニの加工台には、肉を切り身にして置いたような血の跡も認められた。
知らせを受けたY巡査部長らは現場に急行、箱の中の人骨を頭部、胴体、手足と並べたところ、一体の骸骨となった。肉はきれいに削りとられ、頭部も割られ、中の脳漿は空っぽだった。
さらに、陸軍の外套姿の2人の遺体を近くで発見。しかし、残る2人はついに見つからなかった。
現場検証を終えた一行は、飢餓に陥った船長が船員の1人を殺害し、その肉を食べて生き延び、脱出の際に、食い尽くして骨だけになった人骨を箱詰にして遺棄。遺体の見つからない2人も、あるいは殺して食べたのではないかと推測した。
「不死身の神兵」は一転、食人鬼に堕ちたのである。
無人の番屋に避難した2人
逮捕された船長は、取り調べに対して、餓死した乗組員・西川繁一(仮名・18歳)の肉を喰ったことはあっさりと認めたが、殺人については強く否認した。
戦後数十年を経てこの船長にインタビューした北海道新聞編集委員・合田一道氏が著した、『「ひかりごけ」事件 難破船長食人犯罪の真相』(新風舎文庫)によれば、真実は次のようであった。
大シケで暗礁に乗り上げた難破船から無事に上陸し、無人の番屋に避難できたのは船長と西川の2人だけだった。番屋の中にはマッチとストーブがあったためかろうじて暖をとることができた。
翌日2人は、突風と猛吹雪の中、5、600メートル離れた隣の番屋に移動する。この番屋の中には味噌や塩がわずかながらあり、2人は、火を絶やさないように注意しながら、浜辺でワカメやコンブを拾い味噌汁にして食べた。
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