東條英機を見て感じた人情のつれなさ、日本人の便所に来たパール判事…速記者たちが語った「東京裁判」秘話

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日本人弁護団とウェッブの対立

 日本人弁護団の副団長である清瀬一郎も登場する。“天敵”ウェッブとの対立ぶりをこう表現する。

〈日本人の弁護人で、あそこでよくしやべつたのは、清瀬一郎氏だ。〉

〈裁判長に、よくばかにされたようなことがあつたね、日本人の弁護人は。広田なんかは、証言のときに、歴代総理大臣中、かかる愚昧なる者は初めてであるなんて言われましたからね。〉

〈清瀬さんが、一度ちよつと英語でやつた。すると、裁判長が「あなたの英語はわからないから日本語で言ってくれ」(笑声)〉

 粟屋名誉教授は次のように解説する。

「例えば、ウェッブは判事たちの間で半ば孤立し、食事も1人でとっていたそうだし、キーナンも同僚から嫌われていた。判事、検事、弁護団ともに一枚岩ではなく、そこにさまざまな人間模様があったのは事実」

人騒がせなラスト・エンペラー

 裁判が進行する中で次々と登場する証人について座談会出席者は、「一番問題の多かつた」一人として、日本が建国した満州国の皇帝の溥儀(宣統帝)の名を挙げている。

〈傅儀(原文ママ)さんも、ずいぶんジェスチュアの多い人だった。(略)もつとおつとりし人柄かと思つていたら、そうでもないんだな。〉

〈あの人は、ロシヤ側からいろいろな制約も受けたところがあるのじやないかと思いますけれども、日本人としては(比較的単純な国民のせいかもしれないが)信じられないようなことを言つていた。〉

〈傅儀(原文ママ)さんの書いた、せんすの字の真偽が当時問題になりましたね。〉

〈強制されたとかなんとか、あすこで証言した。〉

 溥儀は終戦後にソ連軍に逮捕され、東京裁判の証言台に立った。唐突に出てくる「せんすの字」については、粟屋名誉教授は「扇子については調べてみないと分からないが、満州国建国を推し進めた関東軍に無理に書かされたという自筆の証文を指しているのではないか」という。

 実際、溥儀は法廷で、「関東軍によって、傀儡として帝位に就かされた」などと主張している。さらに言えば、後に自伝『我が半生』を世に出し、東京裁判では、自らの立場を守るために偽証したことを告白している。人騒がせな人物だったことには違いないのだ。

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