【東京裁判・開廷から78年】カネの問題、最も苦労したことは…速記者10人が語っていた裏話
『二つの祖国』主人公のモデルも
「本間」とは、日本軍のフィリピン占領時の最高司令官で、BC級戦犯として現地で銃殺刑に処せられた、本間雅晴 陸軍中将と思われる。彼の指揮の下、米兵、フィリピン兵を虐待したとされる「バターン死の行進」事件は、東京裁判でも問題視された。
さらに「伊丹」とは、日米開戦により数奇な運命を辿ることになった日系米国人たちを描いた山崎豊子の小説『二つの祖国』で、主人公・天羽賢治のモデルになったとされる人物だ。戦時中は高い日本語能力を買われ、米陸軍情報部で、日本の軍事暗号を解読する任務に就いていたといわれる。
「ジョージ・長野」については、詳細は不明だが、日系米国人の通訳だったらしい。
「服部ハウス」とは、速記者の代表5人、通訳、法学者らが過ごした東京都内の住宅を指す。23年4月、裁判の審理を終えて休廷に入った後、裁判の言語担当部署の命により、判決文作成のために百日余もここに監禁されたのだ。
部下には「黙して語らず」
現在の衆議院事務局記録部や年配の元速記者たちに尋ねると、10人の座談会出席者は全員、既に鬼籍に入っているとのことだ。ただ、この場にいた唯一の存命者と思われる人が東京都中野区内に住んでいる。座談会を速記した元衆議院速記者の角田恵弘さん(77歳)だ。
「まだ養成所の生徒でした。先輩たちに呼ばれて速記したんです。東京裁判についてようやく話せるようになったということで座談会が企画され、リラックスした雰囲気で3時間ほど語り合っていました。でも、まだ速記が追いつかなくて、後で本人たちに直してもらったのを覚えています。私自身、服部ハウスを含めて、東京裁判の速記のことはこのときに初めて知りました。“ご褒美”は、近所のそば屋で、きつねそば一杯だけでした」
こう苦笑いしながら振り返るのだが、この座談会の後、「大仕事」だったはずの東京裁判が衆院速記者の間で語られることはほとんどなかった。元衆議院速記者の宮田雅夫さん(79歳)=東京都渋谷区在住=は証言する。
「ここに出てくる速記者のうち4人の部下を経験しましたが、東京裁判の話は一切、聞いたことがありませんでした。『黙して語らず』だったのです。やはり軍事法廷という性格上、秘密にすべきことが多かったからだと思います。その意味でも、彼らが仲間内で、本音で語った『衆友』の記事は貴重な資料ですね」
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