【東京裁判・開廷から78年】カネの問題、最も苦労したことは…速記者10人が語っていた裏話
裏方たちの息遣いや本音、戸惑い
目玉の特集記事は「東京裁判速記秘話」と銘打ち、計17ページにわたる。座談会に出席したのは、終戦直後に中軸を担った男性衆議院速記者10人。いずれも戦後、東京裁判に駆り出され、裁判記録の作成に従事させられたのだ。資料に乏しい東京裁判の裏方たちの息遣いや本音、戸惑いが窺える貴重な一次資料である。
座談会の本文の冒頭、出席した速記者の1人は、こう述懐している。
〈事の起りは、今の西沢衆議院法制局長(当時議事課長)のところに友人の太田三郎(外務省)さんが来て、実は東京裁判の速記をお願いしたい、ということだつた。(略)太田さんと私が司令部に行つて、(略)「どうかこの裁判の速記を衆議院速記者の手でやつてもらいたい。翻訳が間に合わなければ参議院の速記者をも使って、早くやつてもらいたい」ということなので、私は「両院は困る、一つにまとまつているわけでないので、衆議院の人を全部使うようにしたい」と申し入れた。〉
衆議院に頼み込んだ外務省
東京裁判は、ポツダム宣言受諾に基づき、連合国による戦後処理と占領政策を担うGHQの最高司令官である米国のマッカーサー元帥の命令の下、太平洋戦争での日本の戦争犯罪人を対象に行われた。
被告は元陸海軍幹部、元閣僚などA級戦犯28人。豪州から来たウイリアム・ウェッブ裁判長、各国判事、検事らが任命され、昭和21年5月、東京・市ヶ谷の旧陸軍士官学校を舞台に開廷し、23年11月の判決言い渡しまで続いた。
裁判記録作成のための速記は、GHQの占領政策の日本側窓口である終戦連絡中央事務局の要請を受ける形で、衆議院速記者が担当した。座談会出席者が述壊するように、発端は、GHQの意向を受けた外務省の担当者が、衆議院の事務方の幹部に対し、「とにかく急いで体制を整えてほしい」と頼み込んできたことにある。
当初は、衆議院、参議院(21年当時は貴族院)の速記者が協力してでもやり遂げてほしい、との要望だったが、座談会記事を読み進むと、衆議院側は「どうしてもうちでやらせてほしい」と“独占”を主張したことが分かる。
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