「江夏の21球」「伝説の10・19」の球審、前川芳男氏が逝去 江夏豊のプライドを守るために、30年以上も黙っていた“事実”があった

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「カーブは全然曲がってなかった」

 そして、1979年11月4日、日本シリーズ第7戦での“江夏の21球”で、前川さんは球審を務めた。

「あのときは雨降ってたんです。(広島1点リードの9回満塁のピンチで)私がマウンドの江夏のところに行くと、“(雨で)もう放れません”って。それで“じゃあ、放れるようにグラウンド整備してやるから。近鉄もお前も条件は一緒なんだ。だから、お前も辛抱してやれ”って言い聞かせました。そのあと、江夏はカーブで(石渡茂のスクイズを)外したと言ってるけど嘘。カーブは全然曲がってなかった。だから、実際にあのボール見て、あれ? 外したと思ったね。外したのなら、変化球じゃないでしょ。まあ、江夏のプライドもあるから、30年以上、ずっと黙ってたけどね。実際には雨でグラウンドがぬかるんで踏ん張りが利かなかったんだろうし、結果的に(カーブが曲がらなかった)そういうことになったんでしょう」

“早くやれ!”の一言で“絶対負けない”に変わる

 前川さんは、1988年10月19日のロッテ対近鉄のダブルヘッダー、“伝説の10・19”でも、第2試合で球審を務めた。

「あの日はハッキリ言って、私は第1試合で(西武の優勝が)決まると思ってた。近鉄が(7回まで1対3の劣勢)おかしくなって、仰木(彬)監督も焦ってたしね。第2試合も、(先発・高柳出己が)いきなり(佐藤健一に)デッドボール。ぶつけたほうの監督が出てくることはほとんどないのに、仰木さんが出てきて、“早くやれ。痛いんなら代われ!”って。あの試合は時間制限があったから、仰木さんにしたら焦るよね。有藤(通世)監督も“わざとやってるわけじゃない”と口論になって、最後には“もう絶対あなたんとこに負けないから”って。だから、9回に二塁けん制球の判定で揉めたときも抗議のし方(気合)が全然違ってた。普通だったら、ロッテも(近鉄に)勝たしてやってもいいという人間的な情が心の隅にあったかもしれない。だけど、“早くやれ!”の一言で“絶対負けない”に変わる。勝負事っていうのは、そんなものなのかなと思いましたね」

「昔の球場は設備が貧弱で、コンクリートむき出しのフェンスに激突する事故もあった。そういう意味で、昔の選手は特攻精神だった。今の選手は恵まれてます」と往時を懐かしみながらも、終生野球に愛情を注ぎつづけた前川さん。心からご冥福をお祈りいたします。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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