遺体は裸でテカテカ、女性遺族は立ち入り禁止、なぜか水牛のお乳が…インド・ガンジス川の野外火葬場で見た驚きのしきたり

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なぜ女性遺族は立ち入り禁止なのか

 英語のハンディキャップがあり、聞き違いもあるかもしれないが、私がPさんから聞き取ったと思えることを列挙する。

〇バナーラスのホスピス(末期癌に限らず、「死が近い」と悟った老人たちの施設)に来て、死ねる日を待っているお年寄りが大勢いる。
〇ガンジス川は今も昔も「天国」そのものだから、死者がインド全土から列車や車で運ばれてくる。
〇遺体には燃焼効果を高めるために蝋を塗る(前夜見たご遺体がテカテカしていたのは、そのためだった)。
〇遺体の一部をまずガンジス川の水につけ(天国に「ご挨拶」=清めの儀式)てから、焼く。3時間焼いて、頭蓋骨と腰の骨が残り、あとは灰になる。
〇頭蓋骨と腰の骨と、あと全ての灰をガンジス川に流す。
〇ここでの火葬が理想だが、他の町でエレクトリックによって焼き、灰だけを持って来て、ここからガンジス川に流すケースも増えてきている。
〇ここで焼くのと、エレクトリックで焼くのとの違いは、生まれ変わり。前者はミツバチやアリ、蝶々、樹木など人間以外のものに生まれ変われるが、後者はまた人間にならなければならない(Sさんの私見かもしれない)。
〇「お墓」の概念はない。
〇火葬場内へは、女性遺族の立ち入り禁止。昔、夫の火葬のとき、「私も死ぬ」と取り乱して火に飛び込む妻があとを絶たなかったから(前夜階段のところにかたまっておられた女性たちは、やはり遺族だったのだろう)。

 なお、火葬場内の女性遺族立ち入り禁止に関して、Pさんの言う「昔」は、おそらく19世紀のこと。近代まで、インドには寡婦が夫に殉死するという、まさか女性が好き好んでするとは思えないサティーの風習があり、美徳と考えられていたが、「サティー禁止法」(1829年)の制定以降、姿を消した。しかし、1987年に1件が発生したことを受け、1988年、新たに「サティー防止法」が制定されたと、後に前田くんがインド発のWEBサイトで調べてくれて、分かった。

「なぜ、祈らないのか」と執拗に質問

「あなたも火葬場で働いているの?」とPさんに逆質問された。

「違うんだけど、興味あるの」
「ジャパンの火葬はどんなふうに?」

 すべて屋内の火葬場で、マシーンで焼く。燃料はエレクトリックのところもあれば、ガスや灯油を使うところもある。1体40分から1時間くらい。火葬を待つ間、遺族はじっとしているか、コーヒーを飲んでいるか。火葬が終わったら、「骨上げ」を行って、それを後日、墓に埋める――。

 と、ざっくり説明したが、Pさんが腑に落ちなかったのが、「火葬を待つ間、遺族はじっとしているか、コーヒーを飲んでいるか」のところだったようで、「なぜ、祈らないのか」と執拗に聞いてきた。

「……たぶん、心の中ではみんな祈っている。形に表さないだけだと思う……」

 と、心許なく答えるしかなかった。

 私は「ガンジス火葬」のしきたりの数々に「ありえない」と感じたが、「ガンジス火葬」の人たちは私たち日本のしきたりを「ありえない」と思うのだから、「おあいこだ」ととらえなくちゃ、と思った。

井上理津子(いのうえ・りつこ)
ノンフィクションライター。著書に『さいごの色街 飛田』、『葬送の仕事師たち』(ともに新潮社)、『絶滅危惧個人商店』(筑摩書房)、『師弟百景』(辰巳出版)などがある。

デイリー新潮編集部

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