ホテル・ニュージャパン火災発生直後、ロビーで目撃した横井社長の意外な行動 警視庁鑑識課長の「呪われた48時間」

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横井社長が用意したサンドイッチ

 ホテルを経営していたのは、“乗っ取り屋”の異名をとる横井英樹。従業員から火事の一報を聞いた横井は、人命救助はさておき、「まず金目の物を持ち出せ」と指示したという話もある。その横井の姿を、田宮は鎮火後、1階のロビーで目撃している。

「蝶ネクタイをして、宿泊客や報道陣にハンドマイクで呼びかけていた。印象に残っているのは、そんな火急のときでも、調理場に指示を出して大皿にサンドイッチをたくさんつくって、『みなさんで召し上がってください』と捜査員に提供してきたこと。そんなことに気が回る男なんです。

 われわれは腹が空いていたけれど、部下たちには『手を出すな』と命じました。後に彼は捜査の対象となるはずで、捜査する側が捜査される側に施しを受けたというのはまずい、と思ったからです」

翌日午前3時に帰宅

 鑑識課の重要な仕事には、死体の検視と身元確認、遺族への遺体の引き継ぎがある。田宮は死体の検視を芝増上寺の葬祭場で行うことに決め、検視班、身元確認班、遺体引き継ぎ班などを編成する傍ら、ホテル・ニュージャパンにあった遺体を増上寺に搬送した。

「遺体の何体かを解剖したのですが、その中に外国人の女性がいて、遺族から猛烈に抗議されました。ここは日本なので、日本の法律に従ってほしいと説得したのですが、結果的にその女性は妊娠していることがわかり、お腹の子に対しても補償されることになった、そんなケースもありました」

 田宮が一連の作業を終えて鑑識課に戻ったのは夜10時近くになっていた。翌日の検証作業の班編成について指示したあと、捜査本部が設置されている麹 町警察署に出向いた。それまでの経過と翌日の段取りを報告し、公舎に帰ったときは日付変わって9日の午前3時頃になっていた。

 長い一日だったが、本格的な仕事はこれからである。そう心していた田宮だったが、その数時間後、検証作業の段取りを覆すことになる大事件が再び起こるのである。

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