励ましただけでセクハラに…女性だというだけで優遇される社会 だから日本のジェンダー・ギャップは広がるばかり

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女性議員を無理に増やせば国家機能が低下するワケ

 国会議員の女性比率を3割超にするためになにが必要か。それは、国会議員になろうと志向する女性を増やすことに尽きる。

 むろん、国会議員になりたいと願い、意欲も能力も十分にありながら、女性であることを理由に、その道が閉ざされたり険しくなったりしているという事例があるなら、即刻、男女の差がなく国会議員をめざせるように改善する必要がある。しかし、そもそも国会議員になりたいと思う女性が増えていない段階で、議員の女性比率だけを増やせばどうなるか。意欲の点でも能力の点でも十分とはいえない議員が増えるだけである。

 そして、それはそのまま男性への差別につながる。仮に国会議員の志望者が1000人いるとし、内訳を男性900人、女性100人とする。そこから500人の候補者を選び、その3割は女性とすることとしよう。すると、どうなるか。男性は650人が落とされるのに対し、女性は全員を選んでもまだ足りず、さらに50人に志望者をどこかからかき集めなければならないことになる。

 女性のほうが際立って能力が高いのなら話は別だが、能力や意欲は男女で差がないとするなら、これは著しい女性優遇、すなわち男性差別となる。しかも、話は差別にとどまらない。意欲も能力もともなわない女性が大量に国会議員になることを意味する。立法府および国政の機能が著しく低下するのは避けられないだろう。

 要は、議員の男女比が、議員になりたいと思う人の男女比を超えてしまえば、本当の意味での男女の平等が守られないばかりか、日本の国家機能の低下につながる。だから、裾野を広げる、すなわち議員なりたいと思う女性の数を増やすことでしか、ジェンダー・ギャップを本質的に解消することはできないはずである。

 2018年に東京医科大学で、入試における女子差別が発覚。その後、順天堂大や日本大など9大学で同様の「不適切」な入試が行われていたことがわかり、社会問題化した。その際、問題が指摘された私大への私学助成金はカットされ、差別を防ぐための具体的なルールがつくられるなどした。

 こうして医学部入試における女性差別が解消したのはいい。だが、女性の議員志望者が必ずしも多くない現状において、女性国会議員を性急に増やそうとすれば、女性には下駄を履かせて「合格」させる以外に方法はない。それは、医学部入試で女性が差別されていたのと同じ方法で、男性が差別されることにほかならない。

必要なのは数をそろえるのではなく裾野を改革すること

 そして今春は、大学入試においても正々堂々と、同様の男性差別が行われた。東京工業大学や金沢大学など10大学が女子枠を新設。すでに採用していた大学をふくめると、15の国公立大学で女子枠がつくられたのである。

 一般入試、つまり普通の筆記試験で受験する場合は、男女の差はない。だが、学校推薦や総合型選抜に、女子しか受けられない枠がもうけられた。当然だが、女子枠ができた分、男女が平等に選考される枠は減り、結果として男性は合格しにくく、女性は合格しやすくなった。これは大学が公式にもうけた制度なので問題視されていないが、数年前の医学部入試の不正問題と、いったいどこが違うというのか。

 仮に、各大学が男性枠を新設したら、猛批判を浴びるだろう。しかし、女性枠なら許される。

 男女共同参画社会が目指され、内閣府の男女共同参画局は「男性も女性もあらゆる分野で活躍できる社会」を標榜し、2005年から理工系分野で女子の受験生を増やすための「リコチャレ(理工チャレンジ)」を実施してきた。にもかかわらず、経済協力開発機構(OECD)の調査では、2021年に理工系の大学などを卒業または修了した女性の割合は、加盟38国中、日本がいちばん低かったという。

 その焦りもあって、国公立大学の理工系学部が次々と女子枠をもうけているのだが、前述した医学部の不正とは逆に、これでは男子学生が浮かばれない。ひいては、各大学における学力の水準低下にもつながる。

 理工系女子を増やす。それは必要なことに違いないが、大学入試で女子に下駄を履かせるのは本末転倒である。それを担うのは、小学校(あるいは就学前教育)から高等学校までのはずで、そこで理工系分野への興味を喚起し、同時に、家庭における「女の子なのだから」という意識を解消する。そうして裾野を変えることでしか、ジェンダー・ギャップは解消しない。

 日本に関して、各調査でジェンダー・ギャップが大きいという結果が出るのは、裾野に目を向けていないからだろう。裾野において、男女が対等にものを考えるようになることでしか、ジェンダー・ギャップは解消されないはずだ。

 冒頭でとりあげたセクハラ問題も同様である。男女が対等であることよりも、男性から女性を守ることに力点が置かれた結果、男性が守らないことになっている。ひいては男性が女性に遠慮しすぎて、当たり前の指導さえ受けられないなど、不利益が女性にもおよぶ結果を生んでいる。

 男女がそれぞれの差異を認め、たがいにそれを尊重したうえで、対等に接することができる環境づくり。そこをおろそかにし続けるかぎり、冒頭に記した植野医師のような被害者は、今後も増え続けるはずである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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