「スリーエイト」はついに残り1店に… 消えていったコンビニブランドを振り返る

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新鮮組、コミュニティストア、スリーエフ、サンエブリー…多様だったコンビニ

 私は元ローソン勤務の人間ですが、大学進学のために静岡県の浜松市から上京したのが1986年と、当時を客側の立場から体験しました。まだ浜松には、デイリーヤマザキとサークルKがポツリポツリとあるのみで、コンビニというもの自体が広く認知されていませんでした。上京にあたり、初めての独り暮らしを心配した母親は私の好物のミートソースを凍らせたものを20個ぐらい持たせてくれましたが、いざ東京に来てみれば、コンビニが当たり前にあり、弁当やおにぎりなど売っていて食事に困ることはなかったのを覚えています。

 当時の私の“マイコンビニ”は、近所にあったニコマート。おにぎりと惣菜の焼き鳥を食べる貧乏学生でした。ニコマートは、24時間営業コンビニの先駆けだった「キャバレーハワイ」をルーツにもつサンチェーンから派生したコンビニで、1989年にローソンと合併し、サンチェーンは無くなりました(くわしくは別記事「35年前には1000店舗もあったコンビニ「サンチェーン」 元店長が語る“キャバレー発”ゆえの戦略」を参照)。

 このように、昔はセブン-イレブンやローソン、まだ“太陽と星”マークだったファミリーマートのほかにも、新鮮組やコミュニティストア、スリーエフ、ヤマザキ製パングループのサンエブリー、ホットスパー……などなどいろんなコンビニブランドがありました。現在ほど冷凍食品が進化していない時代でも、カウンターで温めてくれる「レンジアップピラフ」など、面白いサービスもありました。このほかにも、酒屋などが自分で屋号を決めて経営する単店のコンビニも多くありました。

 こうして個性豊かなコンビニがあった時代を振り返ると、ブランドが統一されることによって得られる便利(コンビニエンス)な恩恵と共に、失われてしまったコンビニへの “わくわく”や“おどろき”についても考えてしまいます。多様性を求めてしまうのはわがままでしょうか。近年は、独自の仕入れで野菜を販売するコンビニが意外に盛況という例もあります。ブランドを増やすとまではいかないまでも、画一的ではない多様な売り場作りが、今後のコンビニの戦略として、一考の余地があるのではとつねづね考えています。

渡辺広明(わたなべ・ひろあき)
消費経済アナリスト、流通アナリスト、コンビニジャーナリスト。1967年静岡県浜松市生まれ。株式会社ローソンに22年間勤務し、店長、スーパーバイザー、バイヤーなどを経験。現在は商品開発・営業・マーケティング・顧問・コンサル業務など幅広く活動中。フジテレビ『FNN Live News α』レギュラーコメンテーター、TOKYO FM『馬渕・渡辺の#ビジトピ』パーソナリティ。近著『ニッポン経済の問題を消費者目線で考えてみた』(フォレスト出版)。

デイリー新潮編集部

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