3人目の若妻はわがまま、家庭生活も満足していない… 不倫・再婚を繰り返す45歳夫を育んだ複雑な家庭環境
「誰も悪い人はいなかった」
大学生になると彼は家を出て上京、親との関わりはさらに薄くなった。そのころ父と継母は正式に離婚したが、彼が就職したと報告すると「こっちも再婚した」と父が継母とよりを戻したことを知らせてきた。
「よくわかんないです、あのふたりは。くっついたり離れたり、同居したり別居したりしているみたいですから」
ただ、彼は生みの母も含め、そんな「身勝手な」大人たちを恨んだことはないという。むしろ、人は正直に生きると世間的にも子どもに対しても肩身が狭いところはあるが、それでもどこか愛おしい存在たり得るのだなと感じていた。
「生んだ母は優しい人だったという印象が強いし、父も身勝手に生きていたけど、母の出奔を認めていたような人だから僕のことも全面的に受け入れてくれていた。継母もまた分け隔てなく育ててくれた。結局、周りには誰も悪い人はいなかったんだなと気づいたのが大学生のころですね。一般的な親の愛情がどういうものかはわからないまま成長したものの、だからといって心をねじ曲げる必要もないな、と。そうやって自分で自分を大人にしていった側面はあるのかもしれない」
社会に出て露わになった「ひずみ」
ところがそうやって自分で自分を大人にした結果、ひずみが出たのが就職後だ。職場の人間関係になじめなかった。なぜか居心地が悪いのだ。それまでの学校生活でそういった感覚をもったことがなかったから、隼平さんは焦ったという。
「それもあとから考えてわかったんですが、配属された部の部長が家父長的な人だったんですよ。女性や若手を下に見るような発言をしたり皮肉を連発したり……。あるとき同じ部署の女性に『そんなことだからきみは嫁に行けないんだよ』と言ったことがあって、僕は思わず『そういう言い方ってどうなんですかね』という言葉を吐いてしまった。周りに緊張感が走ったのはわかったけど、そんなこと言わせておく周りもいけないと思っていた。当時はモラハラとかパワハラなんていう言葉は一般的ではなかったけど、部長の立場でそういうことを言うのは間違ってると正義を振りかざしました。部署のみんなからはよく言ったと言われたけど、会社的に問題にされたのは僕のほうだった」
正しいことを言ったのに会社からは疎まれ、上司を攻撃したとして役員たちから注意を受けた。へんな会社だなと思って、即刻、辞表を出したと彼は言う。
「正直者の血が流れていたんでしょうね。ただ、その経緯を知っている先輩が他の会社を紹介してくれたんです。そこは上司と部下の関係もよくて、仕事も楽しかった。その会社で出会ったのが最初の妻です」
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