兄の娘との背徳的な関係、妊娠を知りパリへ逃亡…島崎藤村は実体験を描いた“問題作”をなぜ執筆したのか

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私はどんなになってもかまわない

 こま子のその後である。1年後、台湾から戻ったこま子は、10歳年下の左翼活動家と結婚して女児をもうけるが、夫は間もなく逮捕されてしまう。幼子を人手に預けて活動を続けた彼女は、特高警察に追われる身となり、一時は救貧院に運び込まれるほど生活は逼迫した。島崎一族とは、ほぼ絶縁状態だった。

『藤村をめぐる女性たち』の著書がある伊東一夫のインタビューに応じた晩年の彼女は、『新生』の誕生について驚くべき内実を語っている。

「もし『新生』を書くことで、身を刻むようなこの苦しみから、叔父が抜け出すことができるならば、私はどんなになってもかまわない。私は、そんな気持ちで叔父に書くことをすすめたのです」

 彼女が、大磯の地福寺に眠る藤村の墓を訪ねたのは、彼の死から15年を経た昭和33年の早春である。実に40年ぶりの再会だった。

駒村吉重(こまむら・きちえ)
1968年長野県生まれ。地方新聞記者、建設現場作業員などいくつかの職を経て、1997年から1年半モンゴルに滞在。帰国後から取材・執筆活動に入る。月刊誌《新潮45》に作品を寄稿。2003年『ダッカに帰る日』(集英社)で第1回開高健ノンフィクション賞優秀賞を受賞。

デイリー新潮編集部

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