離婚しても夫婦漫才を続けた「唄子・啓助」 「世にも汚い男」「才能があって頭がよかった」2人が遺した言葉でみる「本当の関係」
「負けんなよ!」という温かい声援
「エロガッパ」を自称した啓助の真骨頂は、自らが失意の底に突き落とした元妻にすら「ほんとうに憎めん人やからね……」と言わせる、邪気のない愛嬌と優しさだろう。
荒れた生活がたたり、番組収録中に骨盤骨折して入院した唄子をしばしば見舞い、ときには泊まり込んで慰めたのもまた、浮気の張本人だった。彼女の3度目の結婚に際しては、立会人を務め、手一杯の祝福を送った。夫婦別れから7年ほどのち、昭和45年には「唄啓劇団」を旗揚げし、かつての約束通り、彼女を看板女優に押し出していくのである。
2年近く伏せていた夫婦別れの事実を新聞にスッパ抜かれ、それをファンに告げた場面というのが、実に「おもろい夫婦」らしかった。昭和40年秋、大阪の日立ホール(当時)である。
「別れた夫婦の漫才なんか見たない言うたらやめます」
会場から返ってきたのは、「負けんなよ!」という温かい声援であった。
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