青森・八戸出身の青年とピストル心中した「ラストエンペラーの姪」 親友女性が証言した「交際の様子」「忘れられない口癖」

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決闘騒ぎ、絶縁宣言

 だが、大久保武道は、彼女の優柔不断な立ち回りに見事に振り回されながらも、駆け引きなど出来ぬ、まったく無垢な男だった。それだけに、反応は大きい。武道が別の男性と決闘騒ぎをおこし、慧生と明子、武道の恩師らが必死に止めに入る一幕まであった。

 なんでも真に受けて、真っ直ぐ行動する武道をキリキリ舞いさせると、しまいには慧生自身がはらはらさせられる。その都度、「あなたの悪い癖よ」と明子が慧生をたしなめると、彼女はわかっているとばかりに、自己嫌悪に陥るのだった。

 武道との交際をうとましく思い出した慧生が、ただの友人に戻ることを申し出たこともあった。このとき、彼は思い詰めて絶縁を宣言した。手紙の日付は、11月27日である。

「貴姉の御手紙は全部焼却いたします。小生の手紙はお返しくださいとは申しませんが、焼却せられたく希望いたします。今日以降没交渉なることを只今宣言いたします。なにかと非礼の段心よりお詫びいたし、且つ従来の御厚誼深く感謝いたします」

 武道は思いを断つべく頭を丸め、合気道場で断食と座禅の荒行に入った。

 別れ話は過去にも何度かあったのだが、最後には慧生が踏み止まった。「そうね、途中からエコちゃんの方が、彼に夢中になっていたのはたしかでしょう」と明子は、微笑ましげに回想に耽った。

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 大久保武道が「同情を禁じ得なかった」と記した愛新覚羅家の事情。一方で慧生の親友は、恋人の気持ちを試すような慧生の振る舞いについて、「真実の愛」を探すがゆえだと指摘した。だが、武道の同情心だけが、山中での最期に至った理由ではないようだ。後編では、武道の実弟が後年に明かした「父への反抗心」や、武道が抱えていた深い苦悩などから当時の心理を推測する。

後編【こめかみを撃ち抜かれ、指にはエンゲージリングが…「ラストエンペラーの姪」が遂げた心中事件の真相 相手男性が悩んでいた“父親の問題”】へつづく

駒村吉重(こまむら・きちえ)
1968年長野県生まれ。地方新聞記者、建設現場作業員などいくつかの職を経て、1997年から1年半モンゴルに滞在。帰国後から取材・執筆活動に入る。月刊誌《新潮45》に作品を寄稿。2003年『ダッカに帰る日』(集英社)で第1回開高健ノンフィクション賞優秀賞を受賞。

デイリー新潮編集部

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