青森・八戸出身の青年とピストル心中した「ラストエンペラーの姪」 親友女性が証言した「交際の様子」「忘れられない口癖」

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雰囲気が優雅で、華があった

 慧生と武道、それと高校一年生から慧生の親友だった三好明子(旧姓・木下)の3人は、よく一緒の時間を過ごした。

 天城山心中から50年近い歳月が流れたいまも、明子のなかで当時の思い出は、一向に風化していなかった。

「エコ(慧生のこと)ちゃんは、だれとでもよく話し、みんなから好かれていた。すごい美人でもないんだけど、体中からにじみ出る雰囲気が優雅で、華があった。だから、人が周りに集まってくる。でも、どういうわけか特定の友だちがいなかったの。彼女は、少し高所から人を突き放してみるようなところがあって、それが他人との親密な関係を阻んでいたような気がするんです」

 名家の子女が集まり、ややもするとグループ間の垣根が高くなりがちな気風が学習院にはあった。高校1年生の春、病気のために、1年進学が遅れた明子は、この環境にやや戸惑った。そんなときに声をかけてきたのが慧生だった。

 ふたりは学校で会うと毎日2、3時間おしゃべりし、高田馬場 の校舎から新宿駅まで、肩を並べて歩いて帰るようになる。長期休暇に入れば、慧生が毎日のように近況を伝える手紙を送ってきた。

旧侯爵家の複雑な内情

「手紙などを読むと、最初、大久保さんが一方的に彼女に夢中になったと思われますでしょ。でも、私はそうは思わないんです。彼女は気さくな人柄でしたが、真意はめったに他人に漏らしたりしない。ところが、大久保さんにはいきなり自分の身の上を、話して聞かせているでしょう。そんなこと、慎重な彼女にはまずあり得ないこと。大久保さんは、彼女の身の回りには、いなかったタイプ。あのあまりに木訥な誠実さに、最初から強く心を惹かれていたんだと思うのね」

 もっとも慧生は、「身の上相談所長」と敬愛する明子だけには、自分が暮らす旧侯爵家の複雑な内情をよく語って聞かせていた。

 あるときのそれは、高価な家財を切り売りして、家計をまかなう戦後華族の苦しい台所事情だった。排水溝から流れ出た麦粒をめぐる騒動もそのひとつ。麦飯を食べていることが世間に知れては恥ずかしいと、家中に厳重な注意が下された顛末を吐露した。

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