愛子さま 日本赤十字社“配属先”でわかった上皇后・美智子さまとの奇縁
通訳ボランティア
「戦後、日赤の名誉総裁は、初代の香淳皇后(1903~2000)以来、代々皇后陛下が務められています。現在の名誉総裁は雅子さま(60)です。なかでも2代目総裁の美智子さまは、皇太子妃になってわずか10日後に名誉副総裁に加わりました。すでに日赤職員だった橋本さんとは、ボランティア活動についてたびたび話し合っていたと聞きます」
なかでもお二人が強く結びついたのが、1964年に開催された東京五輪だった。
「といっても、美智子さまがより関心を持たれたのは、東京パラリンピックでした」(同・記者)
2021年に開催された東京パラリンピックも話題になったが、1964年の東京五輪でも開催されていた。
「60年のローマ五輪と共に開催されたのが第1回パラリンピックで、東京は第2回でした。美智子さまは通訳ボランティアについて橋本さんと何度も話し合ったそうです」(同・記者)
橋本氏も動いた。前出の吹浦氏は言う。
「“日本語は世界の秋田弁や薩摩弁。海外からいらっしゃる選手たちは日本に着くや、もうひとつの障害を持つのよ。言語障害。さあ、みんなで通訳ボランティアを目指しましょう”との言葉で、当時の若者たちが奮い立ちました」
のちに国際ボランティアの草分けとなり、英国赤十字社の評議員を務めた喜谷昌代氏(1936~2019)もその一人だったとインタビューで答えている。彼女の父親は実業家で衆院議員も務めた飯塚茂氏(1889~1945)。終戦の年、乗っていた民間機が連合軍に撃墜されて亡くなるという過去があった。父親を弔うために日本航空の乗務員になり、後に同じ日航の社員と結婚したが、当時は夫婦での勤務は認められていなかった。
美智子さまからの電話
《喜谷:当時は辞めなくてはいけなくて、喜谷(註・夫)の勤務地のパリに参りました。そのパリから、東京オリンピックのあった1964年に帰ると、聖心女子学院で2年先輩の、当時皇太子妃の美智子さまからお電話があって「あなたみたいな人は、他人の苦しみがわかるかもしれない。赤十字で働いたらどう?」とおっしゃって。
――美智子皇后さまがボランティアに導かれたのですか?
喜谷:はい。当時の日本赤十字社、青少年課の橋本祐子課長という方を紹介して下さったんです。》(「フィランソロピー」2016年10月1日付)
美智子さまと橋本氏との結びつきの強さがわかる。
「橋本さんは95年10月6日に86歳で亡くなりました。その死が伝えられると、ボランティア活動に携わる“橋本学校”の弟子たちをはじめ、大勢の人々が通夜に駆けつけたそうです。その部屋に置かれた弔花のひとつは、美智子さまが下賜されたものでした。それほどの縁がある青少年・ボランティア課で、愛子さまが活動されることになりました。天皇皇后両陛下、上皇陛下はもちろんですが、美智子さまはさぞお喜びでしょう」(吹浦氏)