愛子さま 日本赤十字社“配属先”でわかった上皇后・美智子さまとの奇縁

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日本のボランティアの母

「日本各地の高校や大学には、『青少年赤十字』と呼ばれる赤十字活動に携わる多数の団体があります。そうした団体に赤十字精神とは何かを教え、またそのサポートをするというのがメインの仕事になります。国際課のような危険な地域に行くわけではありませんし、ボランティア活動をしたいとおっしゃっていた愛子さまですから、新社会人のスタートとしては最も相応しい部署に配属されたのではないでしょうか」

 実を言うと、この部署には上皇后美智子さま(89)との奇縁もあるという。

「この青少年・ボランティア課の2代目課長(当時は青少年課)は、日本のボランティア運動の母とも言われる橋本祐子(さちこ)さん(1909~1995)で、美智子さまとはとりわけご交流が深く、毎日のように電話するほどの間柄でした」(吹浦氏)

 日赤のホームページには、橋本氏についての記述がある。

《戦後の青少年赤十字をけん引した人物の中に、橋本祐子がいます。/1909(明治42)年に父の赴任先の中国・上海で生まれた橋本は、日本女子大学を卒業後、大蔵省官吏の夫と結婚。北京で終戦を迎え、引き揚げ後は母校で英語教師を務めていました。日本赤十字社の奉仕団の立ち上げに関わったことを機に、1948(昭和23)年に日赤入社。青少年赤十字の再建と発展に人生を捧げました。1960(昭和35)年から1971(昭和46)年まで、青少年課長を務めました。/リーダーシップ・トレーニング・センター(トレセン)の開始、青少年赤十字機関紙の創刊、青少年赤十字国際セミナー「こんにちは’70」開催など、業績は枚挙にいとまがありません。/「青少年間における国際理解とジュネーブ条約の普及を通して世界平和の推進に努力」したことなどが高く評価され、1972(昭和47)年に国際赤十字最高の栄誉「アンリー・デュナン記章」を、アジアで初めて、女性として世界で初めて受章しました。》

 まさに“日本のボランティア運動の母”である。もっとも、美智子さまとの交流については触れていない。前出の皇室担当記者は言う。

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