「プロ野球時代より責任は重い」「死ぬ気で頑張れば…」元ヤクルト選手がソニー生命社員になって思うこと

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「8年かけてプロ野球選手になれたから、8年で再びプロになる」

 2019年、鵜久森にとって、右も左もわからぬ保険業界での新しい生活が始まった。ソニー生命では、ライフプランナーを育成するための研修・教育プログラムが充実しており、入社時に保険や金融の知識がなくてもライフプランナーとしての専門性を身につけ、成長していくことが可能となる。「一から学びたい」と考えていた鵜久森にとって、それは理想的な環境だった。

「入社は19年の1月で、仕事内容は生命保険の販売に関することでした。ライフプランを通じて、お客様に保険を考えて頂くのが主でしたけれど、資格をとらないと生命保険商品を扱うことができないので、まずはその勉強をしました」

 資格取得のための勉強と並行して、パソコンの使い方を学び、ビジネスマナーの習得に励んだ。初めて知ることばかりだったが、やりがいは大きかった。この間、鵜久森には「一つの信念」があった。

「僕は野球を始めてから8年かけてプロ入りを実現しました。ならば、必死な思いで同じ時間をかければ、次の人生でもまたプロになることができるんじゃないか。それは決して、確信ではないです。でも、8年間、懸命に頑張ってプロ野球選手になれたのだから、同じぐらい死ぬ気で頑張れば、またプロになることができるはず。もちろん、どんな仕事をしていても、何年かけても終わりはないし、満足することはないのかもしれないけど、やる以上はもう一度プロを目指す。そんな思いで、あの頃は勉強していました」

 初めての契約が取れたのは19年3月だった。これが、ライフプランナーとしての第一歩となった。前年までのチームメイトたちが、シーズン開幕に向けて意気込んでいた頃に、鵜久森の第二の人生が本格的に始まったのだ。

「初めてご契約をいただいて、“やっと始まった、これが第一歩だ”と思いました。ずっと不安だったし、周りもどんどん仕事をしていたので焦りもありました。最初の頃は誤った説明をしてはいけないので、上司と一緒にお客さまの元へ行きました。横で見ていてもらって、訂正してもらったり、助言をもらったりして、少しずつ学んでいきました。青松にもたくさん相談に乗ってもらいましたね」

 公称189センチメートルの体躯をスーツに包み、東へ西へと駆け回る日々に、鵜久森もまた少しずつ手応えと充実感を覚えていた。

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