「400字詰めで肉筆4365枚!」…帚木蓬生さんが見事に書き下ろした「紫式部の生涯」
新たにわかった資料や研究も駆使
「いまから11~12年くらい前、PHP研究所の編集の方が、わざわざ九州まで見えられて、『ぜひ源氏物語を題材にした小説を書いていただけないか』と相談されました」
と、帚木さんが回想する。ただしこのときの依頼は「歴史ミステリ風に」との話だったという。
「しかし、せっかく書くのですから、紫式部がどうやって『源氏物語』を書いたのかを作家の視点で描き、さらに『源氏』そのものの面白さも、両方描きたかった。そこで、こういう二重構造の小説にしたのです」
『源氏物語』部分は、全文を完全訳で挿入した。それどころか、作中に登場する約800首の和歌も、すべて入っている。
「いままで、多くの方々が現代語訳を手がけていますが、そのどれも、意訳だったり改変だったり、独特な解釈を加えています。この現代語訳は、まったくシンプルな直訳です」
ただし、小説部分に登場する和歌や漢詩には、一部、帚木さんの創作もあるという。
「もし、ヘタクソな和歌や漢詩が出てきたら、それは私の作だと思ってください(笑)」
具体的な構想に入ったのは10年前だった。
「小説部分、特に紫式部の生涯にかんしては、もちろん細部は私の創作もありますが、意外と史実に即した部分が大半なんですよ。たしかに紫式部は本名もわかっていない、不明な点が多い女性といわれてきました。しかし近年、かなり研究が進んで、いろいろとわかってきたこともある。それらの資料を十分に入れ込んでいます。たとえば、彼女の名を『香子』としたのは、歴史学者の故角田文衛さんの説を取り入れた結果です」
第5巻の巻末にある参考資料一覧だけでも5頁、80数点におよんでいる。
全体は香子の一人称で進行するが、あまり「わたし」の主語は出てこない。そのため、“手記”スタイルのはずなのに、客観的な三人称のような雰囲気で読める。
「実は、以前に書いた『逃亡』も一人称スタイルだったのですが、『私は』は最後の一文まで出しませんでした。できれば今回もそうしたかったのですが、さすがにそうはいかず、時々『わたし』といわせています」
最終的に本格執筆に入ったのは、コロナ直前の2019年ころだった。
「2024年前半の刊行を目指して、クリニック診療のかたわら、毎朝2時間ほどを費やして書きつづけました。そうしたところ、2022年5月、担当編集者が『先生、たいへんですよ! 2024年の大河ドラマ、紫式部ですよ!』と電話してきて、私も驚きました。いま本書が書店に並んでいるのを見て、私が大河ドラマに便乗して出版したと思っているひとがいるかもしれませんが、こっちが先なんです(笑)。そもそも、あんな分量、すぐに書けるわけありません。校正だけで1年かかりましたから」
この超大作を書き上げて、「やはり紫式部はすごい女性だ」との思いが強いという。
「『源氏物語』には25名ほどの女性が登場しますが、紫式部は全員を見事に描き分けています。美人もいれば、赤鼻の末摘花、高齢ながら色好みの源典待など、容姿や年齢も幅広い。しかも当時の女性の哀しみも、ちゃんと書き込んでいる。見事としかいいようがありません」
作中、「源氏物語」を熱心に読んでいた藤原公任だが、なかなか感想を口にしない。それが、完結後、ついに中宮・彰子から、公任の言葉が伝えられる――「あの源氏の物語は、必ずや千年、二千年、いやこの日の本の国がある限り残るでしょう」と。香子は涙を流し頭を下げる。全54帖完成記念に中宮・彰子が贈った記念の品は……それは、第5巻を読んでのお楽しみ。
最後に、帚木さんに、大河ドラマ「光る君へ」の感想を聞いてみた。
「観てないんですよ。だって、なにやら町娘のような女性に描かれているというじゃありませんか。彼女はアカデミアの世界の、学究のひとです。わたしの小説でも、中宮・彰子に、白楽天の『新楽府』をご進講するシーンがあります。当時の女性が、生半可な知識や教養でできるはずありません。小説では香子が若いころ、具平親王の家に出仕し、そこで『新楽府』の研究をする設定にしました。幼少時代から、この種の経験がまちがいなくあったひとなんです。なのに町娘にしたのでは、観る気になれませんよ」
大河ドラマは今年いっぱいで終わるが、帚木蓬生著「香子 紫式部物語」は、これからも読み継がれていくだろう。藤原公任が口にした「千年、二千年残る」とは、もしかしたら、帚木作品のことかもしれない。
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