「400字詰めで肉筆4365枚!」…帚木蓬生さんが見事に書き下ろした「紫式部の生涯」
決して飽きのこない見事な構成
「というのも、ひとつの帖を書き上げるたびに、香子は、家族や周囲のひとたちに読ませるのです。するとみんな、とても面白がって、いろいろな感想を述べる。たとえば父は『全く「長恨歌」を下地にしながら、我が国のものにしている。実に面白かった』という。母は『この若宮が先々、物語の柱になっていくのだろう』と、ストーリーを先読みする。彼らの感想が、そのまま『源氏物語』解説になっており、自然と理解が深まるのです」(第1巻第11章〈起筆〉)
そのほか、周囲から「まだ若いころの光源氏の恋を描いた帖があるのではないでしょうか」と聞かれ、香子は「はい、ありました。(略)でも破棄しました」と答える。なぜなら「こんな冒頭の物語は、ぼかすに限ると思ったからだ。(略)そこは、読む人の想像に任せた方がよいと、心に決めたのだ」。逸失したといわれている帖〈輝く日の宮〉破棄の“真相”である(第2巻第27章〈賀茂祭〉)。
また、第50帖〈東屋〉が「地の文に比べて対話と心中を吐露する文章が多くなった」理由を、香子自身が独白する。まさに紫式部の小説技法が明かされる迫真の一節だ。いかに、それ以前の物語にない画期的な手法であったかが述べられる。要するにここは、帚木さんならではの“小説創作論”でもあるのだ(第5巻第58章〈小少将の君没〉)。
さて――紫式部は、藤原道長の長女・彰子が、一条天皇の中宮(皇后)となった際、女房(家庭教師的な秘書)として仕え、宮中に入る(第2巻第24章〈再出仕〉)。以後、「源氏物語」は、宮中にも読者が増える。
「いうまでもなく、当時は印刷もコピーもありませんから、肉筆で書写するしかなかった。本作では、多くのひとたちが争うようにして『源氏物語』のオリジナル原稿を入手し、次々と書写して読む様子が描かれています。なるほど、当時の貴族たちは、このようにして“読書”を楽しんでいたのかと、微笑ましくなるでしょう」
そんな宮中の読者のひとりが、当時の代表的なインテリで名書家でもあった、藤原公任だった。
「当初は女房たちが書写していましたが、最後には藤原公任が最初の読者となり、まず公任が読み、書写してから、次に女房たちが書写するようになります。そして香子は、この公任を第一読者と想定して、最終部分を書くのです」(第5巻第58章〈小少将の君没〉)
そして香子はこう決意する――「源氏の物語も、もはやあと一帖だ。ここは真直ぐ、藤原公任様に向かって書くつもりだ。あなたが残した『和漢朗詠集』や『新撰髄脳』に比肩しうるものを、一介の女が遂に完成させたのだと、胸が晴れる結末にする」(第5巻第61章〈賢子出仕〉)。
「現代語訳の合間に、こういう具体的な執筆裏話が登場するので、飽きる暇がありません。次の帖は、どんな内容になり、周囲はどう読むのか、それこそ帚木さんお得意のサスペンス的な雰囲気さえ漂っています」
さて、そろそろ、著者の帚木蓬生さんに登場していただこう。
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