3歳で父と死に別れ、母は「妻子持ち」と駆け落ち…頑張れば報われると思うしかない家庭環境で育った、43歳男性の価値観が崩壊した瞬間とは

  • ブックマーク

「もうがんばるのはやめよう」

 休職を経ていったんは復帰したものの、就職してすぐつまずいたのはまずかった。職場の居場所のなさにうろたえて、結局、彼は退職した。

「母に泣かれました。私が悪いんだ、あなたがこんなことになったのは私のせいだって。祖母が『そうだよ』なんて加担するものだから、かえって僕は居心地が悪かった。僕の人生なんだから、母のせいではないと言いましたよ。だけど言えば言うほど『私が悪いのにかばってくれるいい息子』という扱いになっていく。無理にでも自分を鼓舞して、仕事に就くしかなくなりました」

 東京を出て、ある県庁所在地でサービス業に就いた。寮に住むこともできた。履歴書を見せたとき、面接をした幹部がびっくりしたような顔をしていたのが印象的だったという。接客業は初めてだったが、別の人生を歩いているような奇妙な高揚感があったと彼は笑った。

「もうがんばるのはやめよう。ここで一生、淡々と働いていよう。そう思いました」

 数年間、淡々と働いた。だが彼は目端が利くタイプなのだろう。仕事方法の改善点などを進言しては採用され、いつしか接客のチーフとなっていた。実は「がんばる」のが好きなのではないだろうか。

もう一度、人生を歩もう

 28歳のとき、同僚で1歳年下の奈緒さんと結婚した。職場を上げて祝ってもらい、彼は新しい人生を踏み出した。それから2年の間に、祖母が逝き、あとを追うように母も逝った。

「奈緒は異動して職場で顔を合わせることはなかったけど、ずっと共働きを続けていました。結婚はしたけど正直言うと、どうして結婚したのかはわからなかった。安定がほしかったのかもしれません。実は僕、女性とつきあったこともなかったので、結婚前に風俗に行って相談、いろいろ教えてもらったんですよ」

 てへ、とでもいうように彼は笑った。結婚した理由は自分でもわからなかったが、祖母と母がいなくなったとき、やっと自分の人生を歩けると思ったのは覚えているという。

「親になろう、自分が親になってもう一度、人生を歩もう。そう思いました。ところが子どもができない。奈緒には僕のそれまでのことをあまり詳しくは話していませんでした。人の過去なんて、聞かされたほうが困るだけだろうなと思ったので。彼女はその地域の生まれ育ちで、にぎやかな大家族で成長した女性。明るくておおらかでたくましい。それが救いにはなっていました」

 ふたりで検査に行ったこともあったが、どちらも健康体だった。子どもができない理由はわからない。そんなとき、彼は東京への出張で伶花さんに出会ってしまったのだ。

後編【親戚から20歳で社長に売り飛ばされた女性と運命の出会い…43歳夫が明かす"10年不倫"がバレた末路】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。