3歳で父と死に別れ、母は「妻子持ち」と駆け落ち…頑張れば報われると思うしかない家庭環境で育った、43歳男性の価値観が崩壊した瞬間とは

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 人はしてしまったことを「なかったこと」にはできない。いくら後悔しても、その前の時点には戻れないのだ。だからこそ、ここから未来を作っていくしか生きる術はない。

「そうですよねえ」

 深刻そうな表情は作っているが、どこかのんびりした口調でそう言うのは浅田俊太郎さん(43歳・仮名=以下同)だ。

「オレの人生は終わったと嘆いている男がいるんだけど会わない?」と男友だちに言われて会ったのが俊太郎さん。まじめなようなふまじめなような、捉えどころのない人だが、会っていて不快ではない。今まであまり接したことのないタイプである。

「人生で唯一、愛したのは伶花という女性です。時期が悪かったんですよね。結婚してから出会ったから。もし出会いがもっと早かったら、こんなことにはなっていなかった」

 伶花は本当に素晴らしい女性でした、と彼は彼女の思い出を語り始めた。出会ったのは32歳のとき。その4年前に結婚した奈緒さんとの間には子どもがいなかった。離婚して伶花さんと結婚しよう。そう決めたのに、それはついに叶わなかった。

母に愛されるために「がんばる」も…

「がんばれば報われる。そう思うしかないような生まれ育ちだったんです」

 俊太郎さんはそう言う。彼が3歳のころ、父が事故で亡くなった。母ひとり子ひとりの生活が始まった。仕事を探していた母は、半年後、なんとか正社員の座を射止めたが、彼を育てることができなくなったようだ。彼は都内の自宅から2時間ほどかかる母方の祖母の家に預けられた。週に1度、母は会いにきてくれたが、来るたびに母が小さくなっていったような気がすると彼は言った。

「無理しすぎていたんでしょうね。ついに母が倒れてしまった。祖母が見るに見かねて、上京するから3人で暮らそうと言ったみたいで、僕が小学校に入るタイミングで母と暮らせるようになりました」

 ところが彼は母とうまく会話ができなかった。祖母が間に入ってくれないと恥ずかしくてしゃべれないのだ。母は息子に嫌われたと思ったのか、自分からは話しかけてこない。

「母に愛されるためには勉強をがんばるしかない。そう思いました。今思うと、けなげな少年だったんですよ。小中学校のころには神童と呼ばれるくらいだったんです」

 ニヤリと笑っていたが、おそらく本当だったのだろう。トップクラスの都立高校に入学、国立大学にも現役で合格した。だが、大学に入ったとたん、事件が起こった。

「大学に受かって、母に褒めてもらえる、愛してもらえる。そう思ったのに、なんと母は家を出て行ってしまった。男がいたんですね。祖母によれば相手は妻子持ちで、妻にバレてごたごたしたこともあってふたりで道行きとしゃれ込んだそうです。しゃれてないか……地獄行きみたいなものですよね。ふたりとも仕事も家族も捨てて行ったんですから」

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