横尾忠則が語る「画家の宿命」 「創作寿命が終われば肉体寿命も終わる」
ここ数年の間に友人、知人の創作者が随分沢山亡くなりました。かつて一緒に仕事をした人達の大半は鬼籍の人になっています。残った人達は両手で数えるくらいになりました。その数の中に僕も入っているわけですが、その人達のほぼ全員が僕から見ると年少者で、年長者はほとんどいません。僕は頭から数えた方が早い内のひとりなんです。
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ついこの間までは、誰よりも早く歩いていたのが、今ではヨタヨタ歩きです。ここ5年ほどの間に、歩行も困難に、息切れも激しくなってきました。果たして、あとどのくらい身体が持つのかわかりません。いつの間にか難聴も激しくなり、本も2、3頁で目が霞んでそれ以上読めません。鼻は慢性鼻炎なのか花粉症なのか、手は腱鞘(けんしょう)炎で絵を描く筆がいつもビリビリ震えています。五感全滅です。だから以前のような写実的な絵はもう描けません。従って作品の傾向はいつの間にかガラリと変ってしまって、以前の僕の絵を知っている人は別人の描いた絵と思うでしょうね。このような老化の進行は加齢に伴うものですが、と同時に身体のあちこちが日替りメニューみたいに不自由に変化してきています。その最たる原因は運動不足から来ていると思います。先ず歩かなくなりました。歩こうともしません。だから少し歩くと息切れがします。このような悪循環の連鎖で、アトリエで絵を描くのも苦痛です。一昨年から昨年の初めまでは「寒山百得」展のために一年とちょっとで100号サイズの絵を100点描きましたが、その時はまだ身体が動いていました。だけど今は描くのもやっとです。来年4月からの個展のために150号、50点が目標ですが、かなりの負荷ですね。気持では描けるのですが身体が動いてくれないのです。
でも、死ぬまで描き続けると思います。描くのを止めると、そのままバタンQです。描いている以上は延命につながると思っています。描くために延命するのか、延命のために描くのか。やっぱり前者でしょうね。肉体寿命より創作寿命が先きに来てしまえばそこで肉体寿命も終ります。だから、そのために肉体を鍛えるよりも創作意欲を鍛える方が僕にとっては先決です。如何に創作寿命を延命させるかが問題で、このための治療も薬もありません。
北斎が90歳の時、あと10年と延命を願望したように、100歳だってそれ以上だって画家には肉体を超える創作寿命があるのですが、そこは人間、江戸時代で北斎は91歳まで延命しました。あんな無謀な生活をしながらでも。あの時代の91歳は現在の100歳を遥かに超えた寿命といえますね。ピカソ、ミロ、シャガール、キリコ、皆んな90歳を超えました。マチスやダリも80代半ばまで長生きしました。こうした延命は肉体寿命によるものではなく、創作寿命のエネルギーがここまで延命させたのです。肉体を支配したのは実は創作力です。創作は肉体を超えます。画家は長生きするために、アスレチックをするとかサプリメントを飲むとかは必要ないのです。創作欲が全てを決定するのです。これは画家に限ったことではなく、創作事業を仕事とする人なら誰でも長生きできると思います。
ということは人間はもともと創作をする存在であるということです。また画家の長命にはエゴが関与します。人間主義的な煩悩の生き方は確かにエゴの力が働らきますが、この人間主義的な煩悩に関わるエゴは逆に短命に働らきます。エゴの強い人はどちらかというと短命に終ることが多いそうですが、エゴは時には必要でもあります。画家にとってのエゴは社会的な名誉や地位に向けるのではなく、あくまでも創作のみにエゴを向け、エゴを失くすのではなく逆に創作とエゴを融合させてしまうのです。巨匠といわれる画家がなぜ長命なのかという理由はここにあります。画家は脳の作業というより肉体の作業です。肉体をアスリート化させている。もう少し表現を変えると脳を空っぽにするのです。ある意味で脳から観念や言語を追放してしまって肉体全身を脳化させる。筆を持つ指先きに脳を移動させて、肉体の脳化現象を起こさせるのです。
三島由紀夫は文学者です。観念と言語を武器にして、もう書くことが失くなったと自死しました。ゴダールも同じことを考えて死にました。だけど絵には文学のような終りはないのです。描けば描くほど益々創造的になって未来永劫です。画家は人間的エゴを捨てることで創作的エゴを移植して普遍的な創作人間を目差します。そして宿命を遺伝子として存在させられているのです。だから画家は一日でも長生きするべきです。といって長命を目的にしてはダメです。全ての目的と計画と結果から自由になる必要があります。画家に生まれてきた宿命によって関わってくる運命を運命として受け入れなければならない、こんなシンドイ人生を運命づけられたのは宿命としかいいようがない。画家は実に因果な商売です。