「だって私、女優だもの…」54歳で旅立った川島なお美さんの信念

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「女優は一生をかけてやる仕事」

 1997年には渡辺淳一さん(1933~2014)原作のドラマ「失楽園」(日テレ系・読売テレビ制作)で、不倫の末に心中する女性を見事に演じた。与えられた役柄にやみくもに挑んでいるのではなく、相当の努力をした上で覚悟と自負に裏打ちされた「信念」というものがあったに違いない。「失楽園」を演出した映画監督の花堂純次さん(68)は、あの激しいラブシーンの場面をこう振り返った。

「『私は撮影に入ると必ず本気で恋をするの』と言っていましたね。睡眠時間を削るくらいハードな撮影でしたが、『ワインを飲んで自分をもたせている』とほほえんでいました」(週刊朝日2015年10月9日号)

 美しいだけの女優ではなかった。美しさの中に「精神の糸」のようなものがピンと張り詰めていたと言ってもいいだろう。

「女優は一生をかけてやる仕事。命ある限り表現していきたい」

 取材に対し、真剣な眼差しで応じていたが、女優としても目標は自分自身だったのだろう。穏やかな風景が続く一本道ではなく、曲がりくねった道のような芸能生活。山あり、また山あり。山を越えたら次の山が待ち構えており、その山に登って、さらなる景色を見る。「別の景色が見えたらチャンスありと思ってきた」と川島さんは語っていた。

 さて、ここからは私の個人的な見解だが、川島さんにはどんな色が似合っただろう。

 生命の色である赤やバラ色はたしかに似合う。大地を彩る黄や緑もシックな感じがして似合う。だが私は、青色こそ川島さんにとって最も似合う色だと唱えたい。

 青は大空を彩るように気高い。そして時には、人間を激しく拒む。画家のパブロ・ピカソ(1881~1973)も孤独で不安な青春期を青色で表現したが、暗く沈んだ色調の青こそ女優・川島なお美にふさわしい。

 晴れ渡った春の青空を見上げつつ、川島さんに思いをはせる。

 次回は「大巨人」と呼ばれたプロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアント(1946~1993)。人間山脈の異名を持ったアンドレ。大巨人ゆえの悩み、苦しみを探る。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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