主人公が記憶喪失に…生見愛瑠「くるり」は韓流ドラマを真似ているのか
大映テレビが本領を発揮する「くるり」
韓流ドラマで記憶喪失が定番になったのは「冬のソナタ」が大ヒットしたあと。そもそも韓流ドラマが活気づいたのは韓国政府が1999年に支援に乗り出してからである。
大映テレビと記憶喪失の関係は「赤い運命」で終わらなかった。シリーズ第8弾「赤い嵐」(1979年)もそう。引退した能瀬慶子さん(61)が演じたヒロインは最初から記憶喪失だった。
血まみれで歩いていた能勢さんを柴田恭兵(72)演じる警察官が保護するところから物語は始まった。柴田は自分の実家の豆腐屋に住まわせる。彼女は明るく、真面目に豆腐屋で働くのだが、夜になると不良に変身し、街をうろつく。口調も荒くなる。
街を徘徊中の彼女を柴田が見つけると、彼女は昼間の表情に戻り、「私、怖い……」とつぶやく。本当の自分が分からないからだ。こちらにも殺人事件が絡み、やはり後の韓流ドラマ臭が強かった。
同じく大映テレビが制作したフジテレビ「ヤヌスの鏡」(1985年)のヒロイン(杉浦幸)は記憶喪失ではないものの、自分が嫌いなお香の匂いを嗅いだりすると、普段の自分を忘れてしまい、凶暴な別人格に変わった。「くるり」は韓流ドラマに似ているのではない。大映テレビが本領を発揮している作品と言えるのである。
大映テレビの作風を作った増村保造
大映テレビ独特の作風は、大映映画時代に「天才監督」と呼ばれた増村保造が考え出した。大映が経営危機に陥った1970年ごろから、増村は大映テレビに活動の軸足を移した。
大映映画時代の増村は若尾文子(90)主演で「妻は告白する」(1961年)、「清作の妻」(1965年)などを撮り、国内外で高く評価された。勝新太郎さんの代表作の1つ「兵隊やくざシリーズ」(1965年)を生み出したのも増村だった。
作家の三島由紀夫とは東大法学部時代からの親友。三島が主演したアクション映画「からっ風野郎」(1960年)も監督した。
大映入社後に東大文学部の哲学科に学士入学し、国費でイタリア留学した増村には独特の理論があり、日本映画特有の情緒に否定的だった。制作した映画やドラマにも情緒的な部分は少なく、代わりに人間の欲望や醜さを存分に描いた。
ただし、「赤いシリーズ」がそうであったように、真実の愛は否定していない。増村のDNAを受け継ぐ「くるり」の展開はどうなるか。