か細い声で3回繰り返した「アイ・ラヴ・ユー」 最愛の夫ピート・ハミルは集中治療室のベッドで
映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の原作者として広く知られ、アメリカでは反骨を貫くジャーナリストとして、またコラムニスト、小説家として一世を風靡したピート・ハミルさん。陽気でハンサムなプレイボーイだった。
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そんなピートさんが結婚したのは、「ニューズウィーク日本版」創刊時にニューヨーク支局長を務めた青木冨貴子さんだ。2014年に緊急入院、生死の境をさまよった末に奇跡的な回復を遂げたピートさんだったが、全快には程遠く、自宅での24時間介護が欠かせない状態となる。週に3回の人工透析治療などを余儀なくされた夫を献身的に支える青木さん。それから数年の月日が流れ、2020年、ニューヨークの街はパンデミックのさなかにあった――。
※本記事は、青木冨貴子氏による最新作『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部を抜粋・再編集し、第10回にわたってお届けします。
「ふたりでいろいろやり遂げたね」
その頃のわたしは日に日に衰えていくピートを見ながら、いつ、いったいどうやって最後の時を迎えることになるのだろうかと思案していた。いくら考えてもわかるはずがないのだが、いつもそのことが気になって頭から離れなかった。
病院へ送っていった帰り、ひとりでバスに乗っていると無性に哀しくなって涙が止まらなくなった。
「ふたりでいろいろやり遂げたね」
ピートはふとこんなことを口にすることもあった。
氷をたっぷり入れたグラスを倒してしまい、わたしが床を拭いていると、「アイム・ソーリー、アイム・ソーリー」と何回も、何回も繰り返した。そんなに謝らなくても良いのに……とかえって哀しくなった。
わたしたちは長いあいだ「見つめ合う」ことが増えてきた。カウチに座るピートに目を向けると、彼がわたしのことを見ている。わたしも彼から目が離せなくなって、じっと彼の目を見つめる。それも数分間ほど黙って目を合わせている。後から思えば、あの時、ピートは別れを惜しんでいたのだった。
そして、その日は思わぬ形で訪れた。
人工透析のための通院
2020年8月1日土曜日、朝から太陽の照りつける暑い日だった。ピートにしっかりマスクをさせて、大きな枕二つを鞄に詰め込んで、病院へ出かけた。3時間もの人工透析の間、椅子の上で身動きできないピートには大きな枕が二つ必要だった。
ウーバーで車を呼び、メソディスト病院へ着くと、待合室には数人の患者がいてしばらく待たされた。ようやく呼ばれて透析の部屋に入ると、顔なじみのアンナがいつものようににっこりして、「具合はどうですか」と聞いてきた。
白人の高齢者はピートとアンナだけ、もうひとり30代くらいの若い白人女性がいたが、あとはラテン系や黒人の患者ばかり22名が一部屋で治療を受ける。
この日は師長(チーフ・ナース)のノーマに会えたので、「なんだかすっかり弱ってきたみたいで心配」というと、ノーマはわかっているというふうに大きく頷いた。ピートは血圧が低くなってきたため、酸素マスクをつけて透析することが増えてきたが、この日は必要なかった。
新鮮な食材で、ランチの下準備を
透析が始まる頃になると「後で迎えに来るわね」とピートに声をかけて、表へ出た。土曜日はプロスペクト公園にグリーンマーケットが立つ。病院から真っ直ぐ公園に出て、朝市の列に並んだ。
コロナ禍のマーケットには大きな囲いができて入場者を規制していた。6フィート(約1.8メートル)間隔で並び、入ってからも他の客に近寄らないように買い物しなければならない。とはいえ、近隣の農家がこうしてマーケットを開いてくれるのは助かった。新鮮で美味しいし、季節のものが手に入る。
この日も真っ赤なトマトやトウモロコシ、ルッコラ、ビーツ、茄子などたくさん買った。卵も質が良いものだし、新鮮な花束も並んでいる。この日はピートの好きなひまわりを買い、ロングアイランドからくる漁師が開く「ブルームーン」という店の列に並んだ。ここはお刺身でも食べられるホタテ貝やマグロ、白身の魚など冷凍でない鮮魚を売っている。
買い物カートに入りきらないほどの食材を積み込んで、我が家へ帰り、荷物を下ろしてランチの下準備を始めると、すぐに病院へ向かう時間になっていた。
待合室で、ピートは歩行器に座ってわたしのことを待っていた。
「遅くなっちゃってごめんなさい」
再びウーバーを呼んで帰路に着く。そこまではいつもと変わらぬ土曜日だった。
そばを離れた瞬間、「ああ、転んじゃった!」
家の前の通りで車を降りてトランクから歩行器と枕を取り出し、ピートが歩けるようにした。ふたりで歩道を2、3歩踏み出してみたが、二つの枕がいかにも大きくて手に余った。
「ここでちょっと待っててね。今、この枕を置いてくるから」
わたしはそういって玄関に走った。入口ドアの横に枕を置いて、振り返って見ると、ピートがひとりで前庭に入ろうとしていた。歩行器を持ち上げてほんの10センチの段を登って庭に入ったと思ったら、その場によろよろと倒れこんだ。わたしから1メートルも離れていなかったが手を伸ばしても届かない距離だった。
驚いて駆け寄ってみると、尻餅をつき、
「ああ、転んじゃった!」
と本人は苦笑していた。
転び方もスローモーションのビデオを見るようにゆっくりだったので、たいした怪我をしたとは思わなかったが、いざ持ち上げようとすると、わたしの力ではとても無理だった。
どうしたものか困り果てたわたしは同じアパートの3階に住む隣人のジョンに助けを求めた。ジョンの力でようやくピートを起き上がらせ家の中に入れてもらったが、寝室に運んでからベッドに乗せることができない。
そのうち、ピートが痛みを訴えるようになった。痛みは腰からきていたし、腕の傷口からは出血していた。主治医に電話すると、
「また病院へ戻りなさい。911へ電話して救急車を呼ぶんです」
ようやく帰ってきたというのに、また病院へ行くのは嫌だとピートは訴えた。わたしも行きたくなかったが仕方ない。再び救急車のお世話になって、メソディスト病院へ戻った。
緊急入院
救急処置室(ER)はいつものように超満員だった。それまで何回救急車に乗って、ニューヨークやブルックリンのERに駆け込んだことだろうか。しかも、今回はコロナ禍という緊急事態下だからウイルスも蔓延していることだろうと心配になった。
ひたすら待つこと数時間、やっと病室が決まり、CTスキャンを撮ってみると、腰の右側に骨折が見つかった。
「骨折していますから、手術することになります」
若い医師がこういったので、なんとか手術をしないで治すことはできないのかと詰め寄った。ピートの体力を考えると心配だった。しかし、手術をしないでいると血栓が体に回って危ない状態になるのですと説き伏せられた。
翌2日、手術が終わったのは夜だった。ピートは手術後、集中治療室に移されていた。
3日、集中治療室へ行くと、コロナ患者がいるために家族の面会は制限されていた。1日4時間、ひとりだけ許される。それまで面会が遮断された時期が長かったので、面会できるだけでもありがたいと思わなくてはならなかった。
ピートは憔悴した顔つきだったが、わたしを見ると嬉しそうに手を差し伸べてきた。数人の看護師がついて、検査をしている。
「痛むの?」と訊くと「痛くない」という返事だったのでほっとした。4時間はあっという間に経ち、自宅へ戻った。
4日、朝になって駆けつけると、担当医のドクター・スタムが病室に来ていた。わたしの顔を見ると、そっと袖をひいて病室の外の廊下へ誘った。
「ピートは、とてもとても悪いのです」
呆然とした。もう持たないということだろうか。
「ピートの上の娘がニューヨーク北部にいるのですが、すぐに呼んだほうが良いですか」
医師は迷うことなくこう答えた。
「もちろんです」
「アイ・ラヴ・ユー」
娘のエイジュリンは翌朝いちばんのバスに乗ってこっちへ来るというので、翌日には「1日4時間」と決められた制限のなか、ふたりで2時間ずつ付き添えるようにできないか。わたしは担当者と長い交渉をして、ようやく了解をもらった。
すでに4時間が経ってしまったので、「明日、エイジュリンが来るわよ」といって、ピートの手を取った。
「アイ・ラヴ・ユー」「アイ・ラヴ・ユー」「アイ・ラヴ・ユー」
ピートはか細い声で3回繰り返した。
5日朝早く、ベッドの横に置いた携帯電話が鳴った。出てみると、メソディスト病院の看護師ですという声がして、
「ハミル夫人ですか?」
と聞いてきた。
「はい、そうですが……」
若い声の主はこう続けた。
「あなたのハズバンドの心臓は止まりました」
思わず時計を見ると、午前5時数分前だった。
(最終回)
※『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部抜粋・再編集。