元TBSアナ・国山ハセン氏に「ソフト老害」の予兆が… 「ポテトサラダ論争」で垣間見えたモラハラ気質

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成功したからこそ色濃くなったように見える持論へのこだわり 結果よりも苦労を重んじたがるソフト老害の兆し

 国山さんの言う「優秀だがやる気はない」先輩が誰かは分からない。まあ確かに、漢字を読み間違えても遅刻してもヘラヘラしている女子アナが、次々に玉の輿(こし)で寿退社していくのを見ていたら嫌味の一つも言いたくはなるだろう。

 飄々(ひょうひょう)として見えるが、ものすごく仕事熱心な安住紳一郎アナウンサーではないことは確かなように思うが、ただその安住アナが国山さんを指して「どうも面白くない、ユーモアのセンスが今ひとつ」とラジオで言っていたことがあった。「仕事はしっかりするんだけど、あんまり面白くない」後輩を心配して、国山さんの同期の熊崎風斗アナとともに川柳の教室に連れて行ったという。結局は知識ばかり身に付けて、全員理屈っぽくなって帰ってきたと、自虐含みの笑い話にして締めていた。

 国山さんは退社理由に、「原稿読みの枠からはみ出るのはあまり許されない」という葛藤を挙げていたが、仕事を持つ女性も多く見ている情報番組で、モラハラチックな持論を振りかざされては困るということを理解していたのだろうか。

 本人がどれだけ「自分は優秀」と思っていようと、その振る舞いは「無能」に映る。あまり意味がないランキングではあるが、在局時代の国山さんは「好きな男性アナランキング」のベスト10にも入っていない。

 けれども国山さん本人は、自分のやる気を認めてくれない、自分が正しく評価されないのは職場のせいだと恨みつらみをためていたのではないか。その頑固さというか、自分は正しくて周りが間違っているのだという思い込みの強さや頭でっかちさを、安住アナは心配していたように思うのだ。

 料理は味よりも手間暇をかけたかどうかが大事、特に女性は。そうした国山さんの苦労信仰とも呼べる主張は、視聴者にどう思われようと、やる気のあるアナウンサーの言葉は高く評価されるべきという持論と根っこは同じだ。結果よりも過程。長時間労働を厭わない態度こそが会社員のあるべき姿という、昭和世代の老害感覚そのものである。

 さらに厄介なのは、ヒラ社員だったアナウンサー時代と違い、「プロデューサー」という立場を得てしまったことだろう。いっぱしの肩書きを持ってしまったことによって、やはり自分は優秀で正しいから成功したのだという意識に拍車がかかったように見えるのだ。

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