コロナ禍がきっかけで、神奈川県で300坪のイチゴ農園を開業、シンガポール・ドバイへ輸出する計画も…元中日投手(31)が明かす第二の人生

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5年以内にはシンガポール、ドバイへ出荷する

 そして24年1月27日、横浜市泉区に「三ツ間農園」をオープンした。プロ野球時代のファンはもちろん、SNSで三ツ間の活動を知った賛同者が開園までのサポートをしてくれた。開園までは毎朝5時に起床し、5時半には農園に着き、午前中に4回、さらに14時にも水をやり、17時に農薬を散布する。今では自動で水やりを行うようになったものの、開園と同時に雇用した正社員と2人で300坪のイチゴの世話をする日々。プロ野球時代からは考えられない毎日を過ごしている。

「3年以内には2店舗目を出して、5年以内には愛知県に出店するつもりです。なぜ愛知なのかというと、もちろんドラゴンズという強いブランドもあるんですけど、国際線が発着する中部国際空港セントレアが近いからです。イチゴというのはタイムリミットが短い農作物なので、出荷までの時間をなるべく短くしたい。そういう意味でも横浜から出荷するのではなく、愛知県で出店してセントレアから出荷したいんです」

 三ツ間は「国際線」と口にした。開園わずかにして、すでに海外進出を見据えているのである。その口調が、次第に熱を帯びてくる。

「シンガポール、ドバイへの直行便があるので、セントレア なんです。そうすれば農園で摘んだイチゴが1日半で向こうの店頭に並ぶそうです。メイドインジャパンのイチゴは人気がありますから、そこを次の目標にしています」

 野球とは完全に無縁の生活を過ごしているように見える三ツ間に「野球時代の経験が生きたことは?」と質問をする。

「自分次第でどうにでもなるという点は共通していると思います。ピッチャーならば、打たれるのも自分、抑えるのも自分。イチゴ作りも同じで、おいしいものを作るのも自分、失敗して無駄にしてしまうのも自分。人生のすべてをかけて頑張れば必ず何かが返ってくる。頑張らなければ何も返ってこない。その点も似ていると思いますね」

 開園以来、ほとんど休みなく働いているという三ツ間は、インタビューの最後に「野球時代よりも今の方が全然大変ですよ」と笑い、現在の心境を次のように述べた。

「野球は子どもの頃からやっていた上でプロに入りますよね。でも、イチゴの場合は完全に未経験ですからね。経験値ゼロからのプロ入り、それは本当に大変ですよ。その分、やりがいも大きいですけどね」

 日に焼けた肌に白い歯がまぶしい。丹念にイチゴの生育ぶりをチェックしている姿からは、心身ともに充実している様子がにじみ出ていた――。

(文中敬称略・前編【元中日投手からイチゴ農家に転身した男の告白 高校・大学は全くの無名、独立リーグ時代に訪れた転機“考え抜いたプロの需要”】のつづき)

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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