コロナ禍がきっかけで、神奈川県で300坪のイチゴ農園を開業、シンガポール・ドバイへ輸出する計画も…元中日投手(31)が明かす第二の人生

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「野球×イチゴ」というコンセプトのイチゴ農園を

 ガーデニング好きの母親と一緒にジャガイモやトマトを一緒に育てた経験はあった。コロナ禍における家庭菜園も楽しかった。何よりも、息子の「パパのイチゴはおいしい」という言葉が嬉しかった。

「奥さんの言葉を聞いて、“オレはまたチャレンジしてもいいんだ”という気持ちになりました。農業の経験はまったくなかったけど、もう一度、一からチャレンジできる喜びと同時に責任感を強く感じました。生計が成り立つまでは共働きで苦労を掛けることになるけど、“チャレンジするなら本気でやろう”と、このとき覚悟が芽生えた気がします」

 ここからの三ツ間の行動は早かった。真っ先に浮かんだのは「野球×イチゴ」というコンセプトのイチゴ農園だった。引退してしばらくすれば、自分がプロ野球選手だったことなど忘れられるだろう。まだ「元プロ野球選手」という肩書きが通用するうちに、新しいことを始めなければならない。「少しでも早くオープンしたい」という思いで、神奈川県にある、かながわ農業アカデミーへの入学を決めた。

「神奈川には縁もゆかりもありません(笑)。でも、関東には多くのプロ野球球団があります。野球ファンがアクセスしやすい場所で、ある程度の広さの土地があるところということで考えた結果、“横浜市の郊外に農園を開こう”と決めました。だから、かながわ農業アカデミーを選び、神奈川に引っ越したんです」

 このアカデミーで生産技術のイロハを勉強し、同時に経営ノウハウも学んだ。プロ野球選手になるために努力した日々がよみがえる。三ツ間は言う。「《元プロ野球選手》という肩書きは、誰もが手に入れられるものではない」と。だからこそ、この肩書きが通用する間に、次なる転身を図る必要があった。

「頑張らないとプロ野球選手にはなれない。《元プロ野球選手》という肩書きは、過去の自分が頑張ったことの証しです。だから僕は、胸を張ってこの肩書きを誇りたいです」

 アカデミーに在学しながら、同時進行で事業計画書を作成して銀行に融資を求めた。不動産業者を回ってビニールハウス用の農地を探し歩いた。さらに大学野球時代の知人のつてをたどってイチゴ作りの「師匠」を探し、イチゴ農家のリアルを学ぶことも忘れなかった。

「アカデミーに通っていた1年間は目まぐるしく過ごしました。平日は学校に通い、週末は生産者の下で学びました。農地探しのときには、《元プロ野球選手》という肩書きが悪い方に作用して、家賃を相場の20倍の値段で吹っ掛けられたこともありました(苦笑)。でも、幸いにして費用も工面できたし、300坪の土地も見つかって、無事にアカデミーを卒業することができました」

 2023年3月にかながわ農業アカデミーを卒業。その後食品衛生責任者を取得し、認定新規就農者資格も獲得した。着々と「その日」に向けての準備が整っていた。

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