元中日投手からイチゴ農家に転身した男の告白 高校・大学は全くの無名、独立リーグ時代に訪れた転機“考え抜いたプロの需要”

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「お前が路頭に迷うのか、相手が路頭に迷うのか?」

 その戦略はズバリとハマった。プロで中継ぎ経験を持つ小林の指導と、自ら積極的に取り組んだ肉体改造の成果もあって、球速はグングンアップし、常時150キロを計測するようになった。少しずつプロのスカウトの視線も集めるようになっていく。こうして、2015年のNPB育成ドラフト会議で、三ツ間は中日ドラゴンズから育成3巡目指名を受けた。

「ようやく育成枠での入団が決まりました。でも、僕の目標はあくまでも一軍で活躍すること。ここでもタイムリミットを設けて、“1年で支配下選手になれなければ野球は辞めよう”と決意して臨むことにしました」

 前年は「1年でプロに行けなければ野球は辞める」と決意して背水の陣で臨んだ。そしてこの年もまた「1年で支配下登録されなければ野球は諦める」と覚悟を決めてドラゴンズのファームで研鑽を積んだ。

「期間を決めずにダラダラと続けてしまうことがいちばんよくないこと。そのためにはきちんと期間を設定する。その考えは当時も、今もまったく変わっていません」

 ファームでは徹底的に「右打者のインコースを突くこと」に取り組んだ。当初はなかなか攻め切れなかった。しかし、当時の高山郁夫ピッチングコーチのひと言で目が覚めた。高山は、今季からドジャース入りした山本由伸の恩師として知られる名伯楽だ。

「自分ではしっかりインコースを攻めているつもりなのに、高山さんからは“まだダメだ”と言われ続けました。そんなある日、高山さんから“インコースを攻めることは、一歩間違えると死球となり場合によっては、相手に選手生命にかかわるけがを負わせてしまう。でもお前が路頭に迷うのか、相手が路頭に迷うのか、どっちがいいんだよ?”と言われました。この言葉は今でもハッキリと覚えています。そこから気持ちが切り替わって、ボールも変わった気がします」

 プロ1年目の2016年、三ツ間はファームで35試合に登板し、この年のオフに支配下登録を勝ち取った。右バッターへのワンポイントもいける、ロングリリーフもいけるという万能さが重宝されたのだ。背番号「206」から「43」へ。有言実行で、わずか1年で支配下登録を自らの力で勝ち取ったのである。

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