横尾忠則は「疑似入院生活」を満喫中 朝食はベッドの上で33年

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 少し前、朝食にチャイをアレンジした紅茶を飲むと書いたら担当編集者のTさんが、「それ、何んですか?」と。チャイはインドに行くとどこでも出てくるお茶で、マサラティとも呼ぶのですが、僕が初めてこのチャイを飲んだのは、車で現地のドライブインに入った時でした。ドライブインといっても道端に車を止めてドライバー達が目の前で作ってくれるチャイを飲むという習慣があるんです。

 粗末な茶葉で淹れた紅茶にミルクや砂糖、それにカルダモン、シナモン、しょうがなどの香辛料を加えて薬缶から薬缶へ、まるで水芸のように空中で滝を流すようにして、ガラスコップになみなみとついでくれるのです。甘いチャイを求めて、そこら中の蠅が、ガラスコップの縁にバタバタとやってくる。そんな蠅を手で払いながら暑いインドで熱湯のようなチャイを飲むのです。

 インドで覚えたチャイの作り方を妻に教えたので、今はすっかり慣れて、来客があると香辛料でアレンジした本格的なチャイを出します。初めて飲む人達は大喜びです。

 チャイの話をしたついでに今回は朝食についてのお話をしましょう。えーと、あれは1990年頃だったか、過呼吸という、体の中の酸素が過剰に増えて、呼吸が困難になる症状で、救急車で搬送されて、そのまま入院したことがありました。この病気というか症状は10代の思春期の若い女性がなることが多く、連鎖的にバタバタと何人もが倒れることがあるそうですが、僕のような55歳(当時)にもなる男性が発症するような病気ではないので、病院でも珍しがられたりしました。まあ入院するほどのこともなかったのですが、この際、1週間ばかり気分転換にと思って入院することにしたのです。

 重篤な症状で入院したわけではないので、いたって元気です。翌日になると急に絵が描きたくなって、アトリエから100号大のキャンバスに絵具、筆などの画材をスタッフに運ばせ、病室をすっかりアトリエに変えてしまいました。とにかく終日絵を描いているので疲れて、夕方にはぐったり、時には熱が出ることもありましたが、ここは幸い病院、いくら病気になっても、医療は完璧。少々の熱ぐらいはどうってことないのですが、何しろ100号の大きいキャンバスに絵を描くので、くたびれるといえばくたびれます。そのせいかなかなか熱が下がりません。病院が出す薬を飲んだり検査を受けながらの制作です。

 といって絵が未完成のまま退院するわけにはいきません。少なくとも絵が描き上がるまでは入院したいのです。すでに入院時の過呼吸は完治していますが、絵を描きだしたために二次的症状の発熱はまだ治まりません。

 そんなわけで結局10日ばかり入院して、無事作品も完成。絵の題名を先生に「交感神経と副交感神経の結婚」とつけてもらいました。退院時には先生が妻に、「退院後もしばらく、入院日数の倍は入院生活と同じ生活をして下さい」と告げられました。病院の一日は血圧の測定と朝食から始まります。食事をトレーに乗せてベッドにちゃんと運んでくれます。だから退院してもわが家のベッドまで妻が朝食をトレーに並べて運んでくれました。看護師さんの制服で持ってきてくれると病院気分がでるんですが、まさか、妻にコスプレをさせるわけにはいきません。

 入院期間の10日の倍、20日間はわが家のベッドの上で朝食を摂りましたが、入院のシミュレーションの期限が終っても、僕は知らんぷりで病人を装っていました。妻は気がついているのか、いないのか、黙って食事を運んでくれています。僕は先生の言った期限が過ぎているのを承知していますが、妻は忘れているのか、朝食をベッドに運ぶのがすっかり習慣化してしまったのか、この件に関しては僕からは「終った」とは言わないで、この便利のいい習慣を満喫していました。

 この疑似入院生活はいつの間にか半年が終り、一年が経ち、五年が過ぎ、十年になろうとしているのに妻は一向に気づかないのか、「疑似入院生活は終りました」とは言わないのです。勿論、僕から言うことはありません。そしていつの間にか33年が経過しました。その間、妻は「もういい加減にして頂戴、とっくの昔に入院生活のシミュレーションの20日は終りました。あれから今日まで何年知らんぷりをして、まるで殿様のような顔をして、どこも悪くないのに、いつまで私に朝食をベッドまで運ばせるつもりですか」とは一度も言わないのが不思議といえば不思議。

 もう33年間、一日も切らすこともなく、一万二千四十五日の朝食を毎朝、ベッドまで運んでくれています。どうしてこの問題に関して今だに妻は一言も何も言わないのか、謎といえば謎です。彼女にしてみれば、こうすることが妻のつとめであると認識しているのか、今さら33年の習慣を変えることもできないのか、とにかくわが家の中で一番不思議なできごとになっています。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年4月11日号掲載

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