「ふてほど」の後ではキツい…NHK「新プロジェクトX」の昭和的すぎる“美談”
高度成長期に世界2位を誇った経済大国としての自信を取り戻そうと、日本人が成し遂げてきた偉大なプロジェクトに焦点を当てる「新プロジェクトX~挑戦者たち~」が4月6日から始まった。NHKが鳴り物入りでPRするが、ドキュメンタリーを始めとするテレビ番組に詳しいジャーナリストの水島宏明・上智大学教授は「気になった点があった」と指摘する。
(前後編の前編)
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【後編を読む】かつては“やらせ”が問題に…「新プロジェクトX」の初回放送で気になった演出
「下積みの人」「家族の支え」に焦点を当てた“鉄板”のドキュメンタリー
毎週土曜の夜に放送されることになったNHK「新プロジェクトX~挑戦者たち~」は、2000年~2005年にかけて放送された「プロジェクトX~挑戦者たち~」のリニューアル番組である。タイトルに「新」がついた。
初回のテーマ「東京スカイツリー 天空の大工事」では、高さ634メートルの高層タワーを建設する、世紀の大工事に携わった人びとの「汗と涙」を描いた。施工を請け負った大手ゼネコンの関係者や職人たち58万人がかかわった大プロジェクト、その2003年の計画から2012年の完成までを、関係者の証言と当時の実写映像などでドキュメンタリーに仕立てた。
従来、「プロジェクトX」には、視聴者を感動させることができる“鉄板”のセオリーとでもいうべき、決まったパターンがある。まず、プロジェクトに挑む「主役」に加え、それを支える「裏方」に光を当てる。回によってそれぞれ複数が登場するケースもあるが、それらの人物はたいてい人生の挫折を経験している。挫折やコンプレックスを乗り越えるために困難なプロジェクトに挑む、というパターンだ。そしてこれらの登場人物を「陰で支える家族」にも焦点を当てる。
「思い」を実現しようと懸命に努力する。志半ばで斃れる人もいる。「思い」の結実として、プロジェクトが実現するクライマックスで感動を誘う……そんな流れがおきまりだ。
初回放送では、鉄骨の組み立て作業を担当する「とび職人」に主に焦点を当てていた。「とびなんかとつき合うな!」と友人の親に言われた劣等感を抱えながら仕事を覚えたという職人の人生も描かれた85分間だった。正直に言えば、ラストで中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」が流れるとグッと感動した。しかし、筆者のような昭和世代には響いても、令和に生きる若い視聴者にも響く内容になっていたのかは疑問が残った。あまりに「昭和的」な価値観の番組構成だったからだ。TBSドラマ「不適切にもほどがある!」が話題になったあとでは、なおさらである。
昭和的な“美談”
「ふてほど」は、体育教師の小川市郎(阿部サダヲ)が昭和から令和にタイムスリップし「不適切」な言動を反省、価値観をアップデートする物語だ。最終回で令和から昭和に戻った市郎が、教頭が呼びかけた飲み会に参加する場面があった。不登校の生徒に悩む教師に、教頭は「時には愛のムチも必要だ。ライオンが子を崖から突き落とす厳しさが…。コミュニケーションが不足してる。もっと腹を割って話し合ってさ。縦のつながり横のつながりを大事に…」と説教する。それを横で見た市郎は「気持ち悪い」とつぶやく。令和の感覚にアップデートした市郎にしてみれば、教頭の“飲み会”は同調圧力で参加させられる、違和感だらけのイベントだったのだ。
初回の「新プロジェクトX」では、まさに似た構図があった。スカイツリーの建設で鉄骨を組み立てる「とび」の仕事には、3つ会社のチームが投入され、互いに競い合っていた。作業が遅い社のリーダーの男性には、早い社から「いつまでチンタラやっているんだ!」と容赦なく怒号が飛び、関係が険悪だったという。
ところが、ある日、関係の悪い各社のとび職人たちがあつまり、一緒に花見をすることになった。遅い社のリーダーは、酒を飲むうちに度胸がつき、思いきって他社の“ライバル”に話しかけてみた。そこで少しコツを教えてもらい、得た情報を自分のチームに持ち帰り研究を重ねた。結果、すべてのチームの息が合うようになったという。
対立していたリーダーたちがスタジオに出演し、当時を振り返っていたが、件の花見でも、当初は会社ごとに別々に座っていたという。次第に酔いが回ってからは「同じことやっている同じ仲間だよね」「いいものを建てようとしている思いは一緒」と打ち解けたという。
会社が違うとび職人のリーダーたちは、互いに冗談を言いながら仲がいい様子を見せていた。ドキュメンタリーだから、事実なのだろう。酒の席で酔って互いに仲良くなって難工事を実現させるためにライバル同士力を合わせる……美談であることを否定はしない。だが、“飲みニケーション”が威力を発揮するというのは「昭和的な仕事のつき合い」の典型である。番組ではプロジェクトの成功の鍵を握ったポイントとして強調されていたが、果たしてこれを素直に「良し」と、現代の視聴者は受け入れられるだろうか。
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